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近づくと消える箒木(ははきぎ)のようだとたとえられたヒロイン空蝉。 源氏物語第二帖「箒木」の名前の由来となった南信州園原に実在する箒木に寄せた父・佐佐木政治の新しい考察。

神話を終える一樹

佐佐木政治 1989年6月10日 同人誌「かおす 62号」より

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 樹木の中には稀に見る固有名詞を持つものがある。人間が過ごす一生という単位の時間の短冊にくらべたら、その栄誉だけでも伝説の中の道しるべとなる。それは常識を蹴破った巨大な意志の突出で、古代から渡されてきたものを、その身内にしっかりと巻き込んでいる。
 おびただしいその年輪のなかには、地球という天体が神の広場を横切った数々の証言目録を閉じ込め、同時に、そこに居合わすことのなかったあずかり知らぬ存在の空白(ロマン)が霧の彼方の未知の過去と遭遇しはじめる。

 おそらく一樹は、発芽以来の運命を、確率的にも極めて困難な場所 -まわりの樹木が煙火のように明滅する運命の中にあって、むしろそれら総体が犠牲となり守護した、いわばミステリアスな奇蹟の場所- の中で確保してきたにちがいない。ただ一点、崩れこむもののなかで死が排除した稀なる痕跡、限りなく空虚な場所を目撃するのである。

 一九八九年二月二十二日の朝は稀に見る快晴であった。かつてある書物の中で、落ち葉に埋もれ白髪の枯れ草に飾られた古代東山道が、裸樹の梢に洗われる蒼穹の峰へと消えてゆく一枚のグラビヤを見たときから、この朝があったのだ。いやずっと以前にも一度だけ、この念願が叶えられようとしたことがある。しかし道に迷い、訪ねる人家もない深山で車が立往生した。行く手が大きく崩落していたのだ。

 峠一つを越えると、右手の山々の空が古代都市(大和)への郷愁にうるむ色彩を浮かべていた。見覚えのある白亜の河床に沿って進みながら前回のミステークを知った。道はいまひとつ向こうの巨大な谷間に口を開けていたのだ。さすが「信濃坂」の名にはじはしない。はるか山ひだをぬいながら連なる峰の中空に消えてゆく。

 車を捨てねばならない場所から桧葉が闇となるそま道を一樹への参道に仮託する。春浅い斑雪の急斜面は、古代から吹き抜けてくる風がさわやかだ。
 なるほど、そこはまさに天を掃くにふさわしい尾根のてっぺんであった。弾む息を整えるあいだ、巨木のまわりをしばし無為の時間が巡る。冬空から堕ちてくる木もれ陽が、夙に白蝋と化した一樹の肌にさざめく。見上げればはるか頭上の蒼穹の中を幻の過去が白々と一本の巨幹の仮説を立てる。

梢のみあはとみえつつはゝきゝの元をもとよりしる人そなき(柿本集)

園原や伏屋に生ふる箒木のありとは見えてあわぬ君かな(新古今集・坂上是則)

行かばこそ逢わすともあらめ箒木のありとばかりは音づれよかし(後拾遺集・馬内侍)

よそに見しその原山のはゝき木もふる白雪に埋もれにけり(琳仁法師)

箒木に妻や籠れるさを鹿のその原になく声ぞたえせぬ(夫木抄・藤原為忠)

歌は一樹にささげる情念の雨となる。人が見つめようとするその行手には、言葉が追いつめる神への倫理があった。
 しかし、突如それら夢想が吹き飛ぶのは、地上七メートルあたりだ。鋸歯状にむしりとられた断絶の傷口のまわりには、まだわずかながら白い神話が座礁している。

「昔、風土記と申しふみ侍りしにこそ、此はははき木のよしは大略見え侍し、されど年ひさにまかりなりて、はかばかしくは覚へ侍らず、件の木は美濃、信濃両国界、そのはら、ふせやという所にある木なり、とほくて見れば、ははきをたてたるやうにたてり、ちかくて見れば、それに似たる木もなし、然れば、ありとはみれどあはぬものにたとへ侍る」

 元明朝(和銅六年)に叢されたと目される信濃風土記はついに幻の書と化したが、その逸文のみが孫引される藤原基俊(1142歿)の文章から、ほゞ一樹の出自が証かされよう。

 爾後、東山道は、奈良、平安の光を沈め、しばらくは一樹の翼のもとにあったが、道もまたひとり消滅するわけではない。穿刺に洗われ、やがてかすかな匂いも途絶えた峠からは、別離という巨大な書割もとり払われた。その旅の終わりはものの見事に、一樹の神話をも道連れにするのだ。
 木曽谷から伊那谷へ、伊那谷から木曽谷へと、一つの名のもとに包まれる風越の峰々が翼をひろげる。一九五八年秋、伊勢湾に上陸する巨大な荒ぶる神によって一樹の名残りは絶たれるのである。
 今、巨大なる根幹となりはてすでに自浄作用を失った一樹は、かつての栄光の場所にばん踞している。一樹もまた時間軸に沿って、この世の垂直の旅を終えたのである。

 巻き取られた書物が惜しげもなく繰り拡げられ、峠の空へとばら播かれた。何事もなかったかのように、空がそのためにあったかのように。


父・佐佐木政治
昭和6年長野県飯田市に生まれる。飯田高松高校卒業後、大学で仏文学を学ぶことを断念、木曽にて印刷業を営む。生涯、詩を詠み、本を作る。亡くなる二年前に脳梗塞で麻痺や認識障害を患うものの、動かない手を駆使して最後の詩集「神へ捧げるソネット」を手作りした。



亡父の詩集を改めて本にしてあげたいと思って色々やっています。楽しみながら、でも、私の活動が誰かの役に立つものでありたいと願って日々、奮闘しています。