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どんなに偉い人でも飯は食うし糞はする

タイトルから汚い文字列失礼いたします。お食事中の方で気分が悪くなった方がいるかもしれませんが、食事中はスマホやPCは見ずに飯を食うのに集中した方が良いと思います。タイトルは文章の顔とも言えますが、私自身が人様にはあまり見せられない汚ぇ面でございますので、どうかご容赦いただきたい。

なんか前回の文章にいっぱいハートマークみたいのつけて貰えて嬉しいんですけど、noteの仕組みが良く分かっておらず、いつも通りできる範囲で書くしかないのでなんともせっかくのチャンスを活かせて無い感が半端無いです。タイトル汚いし。無念。

で、本題。決してベストセラーでは無いと思うし、スカっと明るい気分になるものでもないけど好きな本がある。

『友がみなわれよりえらく見える日は / 上原隆』

これは確か中学3年生の頃に父親の本棚で見つけた文庫本だった。当時はあまり自由になる金も無く、父親の本棚から面白そうなタイトルの本を持ってきて読んでいた。この本に惹かれたのは出版社が「幻冬舎アウトロー文庫」というなんか響きがカッコよさげだったからである。バイオレンスの匂いがする。もっと言えば、この出版社は結構官能寄りな小説とかを出版していることからエロスを求めていたのかもしれない。

そんなわけで、中学生時代の私は「カッコよさ」もしくは「エロ」を求めてこの本を手に取った。結果としては、エロスもバイオレンスも無く、どちらの期待も大きく裏切られたのだが。

この書籍は、ノンフィクション作品である。ルポルタージュというジャンルの本らしい。詳しいことは良く知らないが、ラノベと筒井康隆程度しか本を読んでいなかった私にとっては、初めてのノンフィクションというものとの出会いだったと思われる。

この本で書かれているのは、いわゆる『普通の人』の人生の一片。

ここで言う『普通の人』というのは『有名ではない人』という意味である。どこにでもありふれた、それこそ路傍の石のような人生に著者が少しだけ寄り添って書かれた作品だ。

酔っ払ってベランダから転落し失明した、著者の友人の話。

容姿のせいで生涯一度も男性と付き合ったことがない女性の話。

夫がテレクラにハマってしまった、妻の話。

同僚のために会社と戦い、ホームレスになった人の話。

登校拒否の中学生の話。

売れない舞台女優の話。

芥川賞を獲ったあと、ホームレスになった人の話。

父子家庭の父と娘の話。

こんな話が十数編入っていたはずだ。今、手元に現物が無いので記憶を掘り起こしながら書いているのだが、どの話も「挫折」や「劣等感」を抱えて生きる人の人生が描いてあった。

「エロスとバイオレンス」を求めて手に取ったこの本を読んで、私はボロボロ泣いた。決して「エロスとバイオレンス」が無くて悔しかったからではない。単純に、感動したのだ。

この本のテーマは「人は劣等感にさいなまれ深く傷ついたとき、どのように自尊心をとりもどすのか」という部分だ。

失明した友人は、大好きだった本が読めなくなった。その寂しさを音楽を聴くことで埋めようとしていた。

登校拒否の中学生は、自分の生活を、誰にも見せることが無い漫画にすることで何かを見つけようとしていた。

「人は劣等感に押しつぶされそうになった時、これまで自分が培ってきたやり方によってのみ、自尊心を取り戻し、また歩き出せる」と著者である上原隆は書く。

この本に出てくる人達の人生は完結していない。続くのだ、私が読み終えたその先も。この本は、そういう「また歩き出す普通の人」の話だ。

気分が落ち込んでいる時に読むと、一旦どん底まで落ち込み、その後少しだけ前向きになれるような気がする。非常にオススメです。体調によっては副作用が出る可能性もあるくらい強烈な作品。

もちろん、本編も非常に素晴らしいのだが、私としては文庫本のあとがきにこそ救われたので紹介したい。

そこでは一人の哲学者の話が紹介されていた。

【ジャン=ポール・サルトル】という人だ。なんか凄い有名なフランスの哲学者らしいんだけど、一介の中学生であった私は全くその人を知らなかった。今でも良く知らないが、有名で世界的に評価された『偉い人』なんだろうということはわかる。

このサルトルが何かのインタビューでこう聞かれる。

「あなたにとって人生で最も辛かったことはなんですか?」

それに対し、サルトルはこう答える。

「顔だ。この問題は過酷だね」

そんなエピソードが紹介されていた。

なぁんだ、と。そう思った。

当時の私にとって、容姿というのは究極的なコンプレックスであり「僕は顔が悪い」という事実は、思春期真っただ中の中学生にとっては死刑宣告にも似たものだったのである。そんなことでいっちょまえに悩んでいたのだ。

だが、世界的に有名な、世の中から認められた哲学者のような『偉い人』も、こんな自分と同じようなコンプレックスを抱えて生きていたのだ、ということが救いになったのである。

どんなに偉い人でも飯は食うし糞はする。

当たり前だけれど、少し気持ちが楽になりました、という話。




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