お酒を1人で飲むとこういうの書いちゃうって話
久々に酒を飲んだ。
特に理由はないが、なんとなくスーパーで見つけた芋焼酎をなんとなく1人で飲んでみたくなった。
だから今、酔っぱらった状態でこの文章を書いている。
多分、支離滅裂だから、あとから読み返したら後悔するパターンだ。
読み返さないけど!
そもそも、私は「酒が好きか?」と聞かれれば「とても好きだ」と答える。
だが、自分1人で家で飲むかと言われれば、ほとんど飲んだりはしてこなかった。
それが何故なのかはなんとなく自分でもわかっている。
きっと私は、一人で酒を飲むほど「強く」ないからだと思われる。
私の酒での失敗は数知れない。
青森県弘前市の大学に通っていた学生の頃は、毎年花見の度に記憶を無くしていた。
当時私が住んでいた学生寮では、毎年花見の時期になると約200人の寮生が全員仮装をしながら街中を練り歩き、花見会場の弘前城まで歩いていくというイベントがあった。
もちろん、1人1本、日本酒の一升瓶が支給される。
それを飲み切らないと弘前城に入ることは許されないというルールだ。
当時はそれを「当たり前のものだ」と受け入れていたが、今考えると全くもって意味がわからない。
コンプライアンスぶち破りイベントだ。
そんなクソみたいなルールが何故まかり通っていたのは、昭和の残党みたいなものなのだろう。
超楽しかったけど。
当時の学生寮は8畳2人部屋で、ベッドと机を置いたら通路くらいしか残らない、ほぼ監獄みたいな部屋だった。
築45年、壁中が、過去の学生達の哲学的なのか中二病なのかわからないような落書きだらけの部屋に住んでいた。
だいたいの場合、上級生と下級生の組み合わせで同じ部屋に住むことになる。
その同室の先輩とは、かなり密な関係になってくる。
まさに、寝食を共にする、というやつだ。
その花見イベントの際にも、20歳を超えていない後輩の分は、同室の先輩が飲まなければいけないルールだった。
約10kmほどの道のりを歩きながら2升の日本酒を飲み干してまともに花見ができるわけがない。
私は道半ばで記憶を失い、手押し車でタクシーに運ばれ強制送還されたらしい。
そんなこんなで、花見会場に着くまでには200人の学生がだいたい100人以下に振るい落とされる。
もちろん、花見会場にも酒が用意されている。
ようやくダンジョンから脱出したと思ったら、世界は滅亡していたのだ!みたいなエンディングの映画並みにクソな展開である。
もう、意味がわからない。
だが、田舎の学生の花見なんていうのは、多分そういうものなのだろう。
弘前の桜は、日本一だと思う。
弘前城の堀から城の敷地内に至るまで、何千本もの桜の木が植えられており、桜の季節になるとすべてが綺麗なピンク色に包まれる。
北海道から青森という、距離的には大したことのない南下ではあるが、未だに桜の時期になると弘前のことを強く思い出す。
それくらいには印象深い桜なのである。
当時はほとんどまともに見た記憶は無いが。
話がズレてしまった。
酒の話だ。
1人で酒を飲まないのは「酔う」という行為が基本的に「アホになる」と同義だからだと思う。
正直、1人でアホになってもあんまり楽しくないのだ。
アホになった自分と、一緒に飲んでアホになったやつがいるから楽しいのだと思う。
そのアホになった瞬間に、ある程度の本音やら、ぽろっといい言葉が出たりする瞬間がすごく好きなのだ。
当時、20歳そこそこの友達が、べろべろに酔っぱらいながら言った、
「酒は、何を飲むのかではなく誰と飲むのかでその価値が決まる」
という言葉。
寮の先輩と大喧嘩してパイプ椅子を投げつけた後に飲みなおしながら言われた、
「どうせ飲むなら楽しいお酒、欲を言うなら良いお酒」
という言葉。
何か意味がありそうで多分全く無いような、そんな雰囲気だけ名言っぽい一言がたまらなく愛おしく感じた。
結局、俺が好きなのは酒ではなく、誰かと酒を飲んでいて、その中で偶然出てくるちょっとした感動できる瞬間なんだろうな、と思う。
もちろん、酔って正常な判断力なんかなくしているから、それが良い言葉なのかどうかは賛否が分かれるところだろうけど。
そんなこんなで、酔っぱらいが書いた文章でした。
お粗末。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?