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物語のタネ その伍『宇宙料理人 #3』

俺の名前は、田中雅人。
50歳の料理人。
日本人初の「宇宙料理人」として、国際宇宙ステーションで様々な実験を行う宇宙飛行士の為に食事を作るのが俺の仕事だ。

フェルナンド、ソムチャイ、ゲイリーそして俺は今、「クルードラゴン」のコックピットに収まっている。
クルードラゴンは、そうイーロン・マスクの会社「スペースX」の有人宇宙船だ。

俺たちを宇宙に運ぶ全長70mのロケットファルコン9が点火された。
凄まじい轟音と共に浮かび上がる俺たち。
ISSがあるのは高度400km。
そこに向かってロケットは空を切り裂いて登っていく。
学んだところによると、大気圏を脱出するには秒速7.9kmのスピードが必要だそうだ。
因みに、ライフルの弾丸のスピードは秒速800m、ロケットのスピードはとてつもないな。

ケネディ宇宙センターを飛び立って12分後、俺たちは無事軌道に乗った。
宇宙だ、宇宙にいる。
宇宙戦艦ヤマトの司令室のようにガラス張りではないからモニター越しにはなるが、目の前に広がっているのは紛れもなく宇宙だ。

打ち上げからおよそ1日が経った。
いよいよドッキング。
そしてハッチオープン。
揃いのポロシャツとチノパンの俺たち。
ハッチの向こうで今回交代する3名の宇宙飛行士が迎えてくれる。
ハグ、挨拶、そして記念撮影、地球との交信、着いたらいろいろあって忙しい。
一通りのセレモニー?が終了すると、フェルナンド達は、これまでISSに滞在していた3名の宇宙飛行士達と引き継ぎの作業に入っていった。

そして、俺も料理人としての仕事に。
まずは食材のチェックだ。
人類が初めて宇宙に行った頃の宇宙食と言えば、チューブに入ったものが主流だった。
1961年、人類で初めて宇宙で食事をしたのはガガーリンだが、彼が食べたのは、チューブに入った牛肉レバーのペースト。
因みにデザートはこれもチューブに入ったチョコレートソースだったそうだ。
その後、食べ物は基本フリーズドライものになるが、1971年アポロ15号の宇宙士はアプリコットバーを食べ、この辺りからちょっとづつ充実してくる。翌年1972年にはワインを飲むことも許され、1973年のスカイラブ計画では冷蔵庫も用意され宇宙飛行士は「普通」のアイスクリームを食べることが出来たそうなのだ。
俺の小学生の時のお土産の記憶、、、。
名前も忘れてしまったクラスメートのNASA土産の落雁みたいなアイスクリーム。
あれは一体何だったのか、、、。
1980年代に入るとテレビディナーも登場しピラフなんかも食べたそうで。
その後は有名シェフによるレシピが採用されたり、前も言ったけどピザも食べられる様になったり。
そして、美味しいものなら負けないぞということなのか、JAXAは宇宙日本食シリーズを展開していて、日清の焼きそばUFOの宇宙食版もあるし、この前野口さんが宇宙に持って行って話題になったけど、ローソンの「からあげクン」の宇宙食版もある。
宇宙に食材を持っていくだけではなく、生産しようという動きも活発で、LEDライトを使ってレタス、ニンジン、ジャガイモ、そしてイチゴの栽培もされている。
この辺りはフェルナンドの領域になるけど、ホント、子供の頃に漫画やアニメで見た巨大宇宙ステーション・スペースコロニーの生活が着々と近づいてきている気がしてくる。
そんなこんなで宇宙食は今や300種類ほどあり、通常ISSでは毎日の献立は決められておらず16日単位でワンパッケージとなるメニューが設定され、宇宙飛行士は各自好きなものを食べることになっている。
だから俺も朝昼晩毎食作るわけではないのだが、それだけに皆楽しみにしているだろうからプレッシャーもかかる。。。

今日は初日でバタバタとしているということもあり、俺の出番は明日から。
今夜の食事は既存のもので、引き継ぐクルー達も交えて軽く乾杯をして終了。
その終わりしな、フェルナンドが近づいてきた。

「マサ、バーベキューポークの味が恋しいよ」
え、もう舌がホームシック⁈まだ初日だぜ!

すると今度はソムチャイが
「なんか、筋肉が落ちてきた気がするな、体がタンパク質を欲しているよ」
筋肉落ちてるはずないだろ、クルードラゴン内でも筋トレしていたくせに。

「日本人料理人のアイデンティティを感じたいね、僕は」
おいおいゲイリー、フェルナンドはバーベキューポークって言ってるぞ。

ニヤニヤする3人。
なんだ、この圧は⁈
明日の初ディナーメニュー、どうしたらいいんだ⁈



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