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暇とは日(ひ)の光の射しこむ間(ま)

今年は100冊読むぞ!と意気込んだはずなのに
気付けばも2023年も6月。
半年経ってもまだ10冊くらいしか読めていない。
後半の追い上げに期待したい今日この頃。

少しずつだけど、アウトプットとして、読んだ感想をnoteに書いていくことにします📕

いつか読みたいと思っていた、
「置かれた場所で咲きなさい」を図書館で見つけてやっと読みました。

印象強くさせるため、短く切り取られた本のタイトルは、
いろんな解釈ができると思います。

現にネットでも検索すると、賛否両論あるのは確か。
著者が本当はどんな思いや願いをもって書いたのか、紹介したいと思います。


置かれた場所で咲くとは

タイトルの言葉は、本の冒頭ででてきます。

それは、著者の渡辺さんがわずか30代半ばで大学の学長を任された時期に、一人の宣教師から渡された短い詩からの言葉でした。

Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)
「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。

「置かれた場所で咲きなさい」

読んでいて気づいたのは、
置かれた環境で我慢して成功しろ、諦めろという意味では決してなく、
そこが今の居場所であるから、そこで自分らしく生きる
こと、
咲けない時は無理して咲こうとせず、根の方を育てましょう
心の持ちようを変えてみようという内容でした。

一方で、私たちは花ではなく、一人の人間。
自分自身で、置かれる場所(=環境)を選ぶこともできます。

でも、環境というハードな部分を変えるのは、
口で言うほど簡単なことではないときもあります。

だからこそ、まずは心の持ちよう、自分の中にある捉え方を変えてみて
自分が置かれた場所でできることをやってみる、向き合ってみることが
大事だと教えてくれる本でした。

自分の言葉にしたくなった

本の一節で、こんな文章がありました。

『大言海』によれば、「ひま」はレジャーとしての日まではなく、「日間」、日の光の射しこむ間と記されています。私たちの心が、働くことでビッシリ詰まっている時、そこには日の光が射しこむ隙間がありません。

置かれた場所で咲きなさい

今の時代、暇(ひま)という言葉からは、
なにもすることがなく、時間を持て余しているなどマイナスな要素を連想することが多いように思います。

マイナスなものだと思っているから、
私自身、空いた時間を埋めるために、
常に次にやることを探しては、空いた時間を埋め、
さらに次は何をやるか?を常に暇を埋める癖がついていることに気づきました。

でも、日が当たる時間がないと、心のゆとりがなくなり「忙しさ」に支配されて、他者にも思いやりをもてなくなってしまう。

暇=日(ひ)の光の射しこむ間(ま)

という言葉として、
時間や心の余白としてポジティブに転換して捉え、
いつか自分の言葉にしたいと思います。


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