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元社畜、畑を耕してみる

「社畜」はじぶんがつくるもの

探し物をしていたら、2019年に書かれた日記のような走り書きが出てきた。
「今後の計画」とそこにはあり、いくつかの選択肢が書かれていた。
①会社を辞めてパートを探す、または正社員を降りて古巣である店舗のパートに戻る
②週3~4の契約社員になれるか会社に交渉する
③思い切って転職する

これを見つけたのがそこから2年後のことで、コロナ禍のどさくさに紛れ、こんなことを書いた記憶すらどこかに消え去っていた。
正直、驚いた。こんな前から会社を辞めたかったのかと。

会社を辞めると決めたのが2022年初頭、実際に辞めることが出来たのが2023年春だったので、それより何年も前に退職後計画を作っていたのは自分でも驚いた。
恐らくはコロナ禍でテレワークとなり、通勤などの負担が減ったことで幾分働きやすくなったから、退職意思が有耶無耶になったと思われる。

タイトルに「社畜」というワードを入れたが、これはあくまで自分自身の社畜根性といったニュアンスだ。
社畜=ブラック企業という図式が成り立ちそうだが、極端な残業を強いられてはいないし、有休も必要に応じて取れた。仲の良い同僚もいて人間関係での苦労も殆ど無かったから、決して悪い職場環境ではなかったと今でも思う。薄給だったけど。

前職での業務は少し特殊なので具体的には触れないが、「店舗用販売マニュアル」を作成することだった。
マニュアルといっても、取り扱う商品の基本情報や商品誕生の背景、メーカーの想い、商品の応用レシピなど多岐にわたり、それらを販売文句に落とし込むといったものだ。
情報はできるだけ多く詳しく、万人にわかりやすい言葉で。単なる商品説明にとどまらず、読み物として成立するクオリティを目指す。そして誤字脱字は神経質なほどに何度もチェックすること。これが私のポリシーだった。
そうはいっても現場からは、
「もっと情報がほしい」
「情報が多すぎて読む気にならない」
「長い/短い/漢字が多い/ひらがなが多いと読みにくい」
「もっと深い情報を物語的に書いてほしい」
「専門用語がわからない(注釈は必ず付けていた)」
「フォントが見づらい(これはシステムの問題)」
様々な要望が寄せられた。
現場マネージャーからは「さいきさん頑張ってるのはわかるし、昔に比べたら質は全然違う。だからみんな期待しちゃうのよ」「スタッフには高学歴の人もいれば、漢字を読むのがやっとという人もいるの。万人がわかりやすいように書いてね」と、褒めてるのか貶してるのかわからないような妙に気を遣ったコメントや矛盾だらけの注文を常に貰っていた。

360°全方向に向けて完璧なものを作れと言ってくる上に、それに最大限応えたところで、担当した商品の売れ行きが悪いと私のせいにされた。そうすれば現場としては楽なので当然だろう。
そこで毎度気にし過ぎて、万人に気に入られようと頑張ってしまったのが私の最大の落ち度だと思う。
何か現場から質問があれば休日を問わずスマホが鳴っていたが、それは働き方改革で是正され、こちらに余程のミスがない限り時間外の連絡はご法度とされた。
それでも、どうしても休日や時間外に会社スマホを見ずにはいられず、グループLINEが騒がしくなっているのを見ると、自分のミスかと焦った。
それは連休中の旅行先でも、有休を取り出掛けた先でも。
なんなら退職後でも、返却した会社スマホを探すような仕草を何度もしていたのだ。

そんな状態だから「この人は多少の無理難題は引き受けてくれる」と認識されたんだと思う。必要とされることを自分も望んでいた。
つまり「いい人」で居たかった。会社にとって「いい人」でありたいという社畜根性そのものだった。SNSで「私社畜だし~」と軽口を叩いてもいた。
結果として、下された査定は低評価。「こんなに頑張っているのに」という被害者意識だけが残った。
こんな「都合のいい社員」が実際に退職するにあたっては慰留に次ぐ慰留があり、退職代行すら考えるほどだった。

そんな社畜根性にまみれた私がようやく会社を辞め、思い立って畑を借りてみた。
自治体で貸している市民農園というやつだ。
これは十数年前にも別のところで借りて挑戦し、非常に良い経験となったが、転職による多忙のため終わらせてしまっていた。

今でも忘れられないのが、初めて土に触れた時の感触だ。
とても柔らかくて、あたたかくて、生きている。
ギスギスしていた心がほどけていくようで、これが「癒し」なんだろうなと。
そんな癒しにもう一度触れたくて、再び市民農園を借りることにした。

1年目トップバッター・じゃがいも

プランターではない耕作地での家庭菜園で、まず何を植えようか。
まず「じゃがいも」を作ってみる人は多いのではないだろうか。
じゃがいもは栽培も簡単で、6月には収穫できるので夏以降の栽培計画も立てやすく、なにより食卓で大活躍してくれる。
じゃがいも一つにしても、男爵にキタアカリ、メークイン、人気の高いインカのめざめ、赤い皮のレッドムーンなど様々だ。
私はキタアカリが好きなのだが、種イモ選びに少し出遅れてしまい、ホームセンターで売れ残っていた男爵イモと出会った。

はじめに区画全体をよく耕す。
タタミ3畳ほどの広さ、高をくくっていると腰をやられる。
スコップで万遍なく土をほぐし、3月になり顔を出し始めた雑草を取り除く。
ここの土地はスギナが多い。スギナといえばツクシの兄弟分みたいなものだが、掘っても掘っても根が深く、土中でどこまでも横に繋がっている。
しかも途中で切れた地下茎から再生してくるという、スギナネットワークの恐ろしさ。その時に殆ど取り除いても、数日後にはまた繁茂している。
スギナは酸性土壌を好むと聞いて、あらかた根を取り除いたところで苦土石灰を鋤きこんだ。そのせいか2年目の今年はスギナの発生は激減している。

耕したところに等間隔に穴を掘り、種イモを置いていく。
この時に誤って畝を立ててしまったので、崩してやり直し。
じゃがいもは種イモの上に新たなイモを生成するので、茎が伸びると同時に土を寄せてやる必要がある。
改めて「いってらっしゃい」と見送るように種イモを植えていった。

じゃがいもの芽が出たら、次の工程は「芽かき」。
イモの表面には芽がいくつも出来ており、それが全部発芽すると栄養分の取り合いになりイモが大きくならない。
勿体無いけれど、2~3本を残して取り除いていく。

成長してきたら数回に分けて、「土寄せ」の作業をする。
じゃがいもの根元に土をたっぷりと寄せることで、新しいイモが育つスペースを作ってやる。畝立てを後からするようなものだ。
土寄せが足りないとイモが地表に出てしまい、日光を浴びて緑色になり食べられなくなってしまうので、最も重要な作業だ。

後は太陽がたっぷり降り注いでくれることを願いながら、梅雨入り前の収穫を待つ。小学校で習った「光合成」を思い出しながら。
成果は上々。何度かに分けて車に運び、たくさんのお裾分けもできた。

春菊と小松菜

じゃがいもと同時に、春菊と小松菜の種を蒔いた。
これはアブラナ科である小松菜につくモンシロチョウを、キク科の春菊が忌避するコンパニオンプランツ効果を狙ったもので、実際に自宅の花壇で成功している。
しかしながら、花壇では密な状態で混植していたのだが、畑ではそれぞれの畝を立てて30cmほど離れた状態で育てていたため効果はナシ。
春菊こそ虫食いの心配もなく美味しくいただいたが、小松菜は惨憺たる状態で全滅に近かった。かろうじて無事だった部分を茹でて食べたところ、そりゃ虫も好むだろうよというほどの美味。これもまた教訓。

バターナッツかぼちゃ

畑を借りたら作ってみたい野菜があった。
今では珍しくない、ひょうたん型のかぼちゃ「バターナッツ」。
肉質に特徴があり、煮付けよりもスープに向いているかぼちゃとして知られているが、それを自分で栽培してみたくなったのだ。
以前食べた時に種を取っておいたので、それを直まきしてみた。
結果は大成功。受粉失敗したものを除いても10個近くの収穫となった。

さつまいも「宮崎紅」

じゃがいもの跡地には、6月以降に植えられるさつまいもを選んだ。
さつまいもは粉質と粘質で大きく食感が異なるのだが、私は秋になると「 紅はるか」を主食にするほどのねっとり焼き芋が好き。
といいつつも「宮崎紅」という品種が気になってしまい(紅はるかはどこでも買えるので)苗をポチリと。
届いてすぐに植え付けたところ、全て無事に根付いてくれた。

猛暑を受けて、さつまいもの茎葉はビュンビュン伸びる。さつまいも栽培で重要なのが「ツル返し」。伸びたツルが地面に付いてそこから発根してしまうのを防ぐためにツルを剥がすのだが、どちらかというとお隣の区画にお邪魔してしまわないための作業になっている。

さつまいもの栽培期間は長く、6月中旬に植えたものを10月下旬に収穫した。11月と見込んでいたが、試し掘りをしたらかなり大きくなっていたので前倒ししたくらい。
少々不恰好ながら立派なイモが大量にとれて、実家や友人にたくさんお裾分けしたほか、大学芋を作ってパート先にも差し入れた。
大変だったのは大量のツルの廃棄。今の農園には草捨て場がないため、土に埋めるか持ち帰るしかない。
試しにさつまいもの葉と若い茎を調理して食べてみたが、まあまあいけた。

これにて1年目の畑はほぼ完了。なかなか上々の結果だったと思う。

2年目・実らないイチゴと割れた人参

1月下旬になると、市民農園更新の意思確認のハガキが届いたので迷わず更新し利用料を支払う。1年で7,000円、一部の野菜は自給自足出来ることを考えると安いものだ。
更新しない場合は早々に道具や作物を撤去、つまり原状復帰にて返すわけだが、継続して利用する場合には植えてあるものを抜去する必要はないので、昨秋に植えたイチゴやソラマメは年を越した。

実はイチゴ栽培に関する記事を請け負ったことがあり、ノウハウは持っている筈だった。しかしながら3株植えて1株枯らし、できた果実は1個だけ。
実は冬の間に苗を掘り返されていたことが判明。現場の状況からして動物と思われ、その辺に転がっていた苗を植え直して2株は復活した。
他には何がいけなかったのか原因はわからないが、2株のイチゴは今も非常に元気でランナーを伸ばしまくっている。

次にニンジンだが、こちらは種まき時期を完全に間違えていた。
秋まきのつもりが、俄かに忙しくなって年末近くにずれこんでしまったのだ。暖冬だったこともあり、冬を越して育ってくれるだろうと思ったら甘かった。
冬の間にゆっくり育ちはしたのだが、春になり急に暖かくなったせいか根の成長と共にヒビが入ってしまった。
根の部分はほぼ使い物にならなかったが、葉はとてもきれいに育った。
葉ニンジンがとても好きなので、天ぷらや汁ものとして無駄なく使うことができた。

かぼちゃを作る

1年目にバターナッツかぼちゃを成功させたが、偶然買った「ダークホース」という品種のかぼちゃを煮付けにしたら、とんでもなく美味しかった。
バターナッツと異なり粉質なので、煮付けや天ぷらに最適。
これは種を取っておこうと思い、大事に保管して時を待った。

まずは畝を立てて、旺盛に伸びるツルが隣に入り込まないように支柱と紐で簡単な囲いを作る。
種をまいて発芽したら後はあっという間に育つので、摘芯をしたら(摘芯することで雌花が咲きやすくなる)暴れないように誘引。
根元がぷくっと膨らんだ雌花も順調に咲き、知らないうちに受粉もされていたようで既に果実がゴロゴロしている。
早ければ8月末に収穫、貯蔵して晩秋には楽しめそうだし、冬至にも自分で育てたかぼちゃを煮付けたい。

2年目は自由になってきている

性格上「きちんと守らねば」「完璧にしなければ」と思うところがあり、なかなか気持ちが自由になれないことがある。
だから自分から社畜になりたがったんだろうけれど。

それを直していくのは簡単ではないが、少しずつ緩めていくことはできるだろう。畑の作業だって同じだ。

2年目はじゃがいもを作る予定はなかったが、キッチンの隅でうっかり芽の出たイモを2個発見した。別の袋に入れ替えていたから品種も不明。
それを捨てるよりはと畑に埋めて、後は適当に放っておいた。最低限の土寄せだけはしたけれど。
2株のじゃがいもは順調に育って、立派なイモがとれた。
なんなら、芽かきや土寄せに神経を使って、日照量すら心配していた1年目より出来が良かったくらいだ。

完璧じゃなくていいんだな、とつい可笑しくなった。
ピリピリしながら作るより、もっと自由にしてもいいのかも。
そういえば、前の年に植えていたエゴマがこぼれ種で育っている。
空いたところにツルナやパクチーの種をまいたら、毎週少しずつ収穫ができているし、間に植えたマリーゴールドもとてもきれいに咲いている。
植物の性質さえ無視しなければ、もっと自由な畑でいいんだと気付いた。

はたから見れば、今年の私の区画はちょっと自由過ぎるかもしれない。
でも行くたびに何かしら収穫があり、食卓も潤う。

自分を縛り付けて、いい人になろうとして、評価されず腐っていた頃。
土に触れて、好きな野菜を育てて、少しずつ自由になろうとしている。





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南城さいき
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