大分県、最古級「西野の庚申塔」。
水田に、4月の優しい雨が降りそそぎます。
こちらは佐伯市「西野(さいの)」。
その景色には、古くからのひとの営みが感じられます。
ここに、佐伯市指定民俗文化財の「庚申塔」がある。
現地の説明看板によると・・・、「天正四年(1576年)丙子〇二月吉日」と刻まれ、大分県内でも最も古い庚申塔のひとつという。
ちなみに、凝灰石造り・高さ78センチ・幅57センチ・厚さ19センチの板碑型で、正面には「奉造立庚申待人数講也」と刻まれています。
ところで、「庚申塔」って何だかご存知でしょうか。こちらをご参考ください。↓
ある時代の日本文化を色濃く残した痕跡として、「庚申塔」はあります。言われてみれば、お墓のような石がいろんなところにあると思いませんか。(しかし、これはお墓のように見えて、全くの別ものなのです。)
またさらに、こちらには高さ2メートルの石撞もあります。
石撞の裏面を確認することはできませんでしたが、説明看板には「石撞(六地蔵塔)」と記載があります。三面に各2体ずつで六地蔵とすれば、裏面には地蔵は彫られていないのかもしれませんね。
さて、なぜこんなにも古い庚申塔がこの西野にあるのでしょうか。
特別な場所だったのでしょうか。(近くには「西野のお塔」もあります。時系列でいえば、この出来事の影響を受けてという流れは自然でもあります。)
謎は深まるばかりですが、堅田や青山はご覧の通り「美しい水田が広がる稲作の盛んな地域」です。「五穀豊穣からなる神仏への信仰」や「地域の寄り合い行事」などと一体的に行われる住民の生活文化として、「庚申塔(庚申信仰)」が密接な関係にあったとすれば、このような地域にあることは不思議ではありません。
そして、歴史的には、すぐ近くの波越(なんご)まで津波が届いたといいます。水田に近いような場所で、津波を逃れることのギリギリのラインがこの西野であったのでしょうか。今では妄想することしかできません。
いずれにしても、時を超えてここには歴史が残されている。
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