西野のお塔。
堅田から青山方面に進むと、「西野(さいの)」という地域があります。
風情のあるところで、美しい景色が広がる。
この西野には、かつて「お塔の大杉」と呼ばれた大木があったという。昭和4年の台風で倒壊したため、今はもう見ることは叶いませんが、後継の木が成長を進めています。それが下の写真。
この林の中に、悲運の城主「佐伯惟治」とその子「千代鶴」を祀った墓があります。(佐伯城の築城よりも前の時代、)毛利家が佐伯を治める前の「栂牟礼城」城主が佐伯惟治でありました。武勇に優れていたといいます。
佐伯惟治については、こちらのとおり。
1527年、事実無根の告げ口によって大友義鑑の怒りを受け、臼杵軍2万の兵に包囲されるものの、鉄壁の栂牟礼城は堪え凌ぎます。
しかし、大友義鑑が怒りを解いたと欺かれ、城から離れたところを狙われます。佐伯惟治は、日向の尾高知山で無念の自害を選びます。
そして、その佐伯惟治の子「千代鶴」は父を追って、西野までやってきたところで、大友の「赦免の使者」を追手と思い誤り、自害してしまいます。年齢はわずか9歳でありました。
村人たちは深くこれを悼み、大杉のほとりに父子の墓を設け「お塔さま」と呼んで祀り続けています。
500年前の物語。歴史を残そうとする思いの連続が、地域を豊かにする。
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