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美 2023/03/20 ボボボブログ 雑日記

話の種

  • ドアを開けて待たんといてくれ!と、コートの内ポケットに興奮する店員さん

  • 自然は美しいっていうけどこの世の一番醜いものって自然にあると思うんだよね。いやだって、醜いって字分解してみ?いやまぁ別に何もないんだけど

  • AIがなかなかハードな倫理問題を解決できるようになったんだけど、

  • なぜ夜は永遠に続く感じがするのか

  • 時間が足りないのを昼夜逆転のせいにしたかったのかもしれない

  • 本当の青春はカメラに映らない

今日は朝から活動し続けていて、かつ奇跡的に昼寝を回避できた。寝たのは4時だったのに。えらい、偉すぎる。しかも、ずっと描きたかった絵を描き始められたのでそれも含めてとてもハッピー。
手軽に楽しいことよりも、本当にやりたいと思ってたことをできるのはやっぱり気持ちがいい、、
朝、本当にしんどかった。起きるのが。4時寝、7時40起き。立てなかった。ふらふらになって机に倒れかかって、数分後また立ち上がって洗面台にたったはいいものの、頭に全く血が上らずすぐにまた倒れてしまった。本当にしんどかった僕はなぜか乾いたタオルで顔を拭いて目を覚まし、ゆらゆら帝国の「おはようまたやろう」が頭に流れていたのでそれをスピーカーで流して着替え始めた。
なんでそれでいけるんだよ。
んで慣れない朝のカフェテリアに向かう時、なぜかみんな月曜の朝だってのにいつも以上に優しかった。4メートルほど先を歩いていた人はドアを開けたまま僕がくるまでなぜか待っていてくれた。カフェテリアの入り口の番人役の店員さんは僕のコートをなぜか褒めてくれた。
「それって内ポケットもついてるの!?」
「うん、ついてるよぉ。」
「That's so cool dude!! それかっこよすぎやろがい!」
「あ、ありがとぉー」
血圧が低すぎて全然テンションを共有できなかったの、なんか申し訳なかったな。いや、普段でもそんな程度のリアクションしかしてないか。

「自然は美しい。人工物は醜い。」
みたいな発想はなぜ生まれるんだろうと思う。
結局全部僕らの美の認識パターンにどれくらい沿えるかでしかないと思うんだよ。
むしろこの世で最も醜いものを作ることができるのも自然なのではないか?とも思ってしまうけど、人間の醜いと感じるもののアルゴリズムを探求し続ければもしかしたら自然を超えるのも可能かもね!美もまた然り!
そもそも人を自然の一部としない派閥の時点であんまり信用ならないんだけども。


論理問題とAI

先日TwitterでAIがなかなか複雑な論理問題を解くことができたという外人のツイートを見つけた。
問題の内容は確か、

「コーヒーの入ったマグカップをお盆に載せます。お盆をソファに載せます。ソファをベッドルームに移動しました。お盆を洗面所でひっくり返しました。
さぁコーヒーはなんの部屋にありますか?」

みたいな雰囲気の問題。内容は超適当。これよりはよっぽど複雑だった。

自分が気になったのは、そのツイートの返信欄で、ツイ主が、
「この問題は自分が思いつきで考えたものなのでAIの学習データモデルには含まれていないはずです。」
みたいなことを言っていたこと。
そのツイ主がその論理問題を考える人間のソースはどこから、、?とか考えてしまった。
言い換えるなら、そのAIとそのツイ主の立場が側から見てどっこい被ってしまったのである。大量の情報ソースを元に問題を作り、答える。いよいよ本当に立場の違いがわからなくなってきた。


夜型

今日、超久しぶりに昼人間のような時間軸で生活をして、いくつか気付いたことがあったのでまとめる。
一つ目は、なぜ夜は永遠に続く気がするのか、ということ。
ここ二週間、授業時間以外は昼間ほとんで寝ていた自分は思った。人間って多分みんな無意識に太陽の位置確認してるわ。位置じゃなくても、明るさなど、そういう深層心理的な太陽の観察をすることで時間の流れという感覚を日中生きている生物は得ている気がする。
だって深夜を生きてる自分って時計見ないと全然時間わかんなくなるんだよね。昼間の自分って、時計見なくても大体プラマイ10分くらいで時間わかる人間なのに、夜だとわからない。そんでその太陽の位置による時間情報が頭に入ってこない感じが、脳の情報量の削減に貢献している気がする。もちろん人の気配がしないのもあるんだろうけど。

昼生活して思ったけど、夜生活と昼生活比べてみても意外と自由時間同じぐらいじゃん!!
んでこれを思うってことはつまり、自分は無意識的に昼生活をしている方が自由時間が増えると思っていたということ。もしかしたら夜型生活をしているから自由時間が少ない、だからしたいことに手がつかなくてもしょうがない、って自分に無意識に言い聞かせていたのかもしれない。なんとなくそん気がしなくもない。


青春

なんの瞬間に思ったのかわかんないけど、一つ思ったのは、「青春」な瞬間ってカメラに映らないなって思った。あくまで理想型の人間が言う青春だから、遅れてるだの言われたらなんの反論もできないんだけど。
自分の中で青春って、その瞬間を全力で楽しむことと深く結びつきがあるんだよね。その瞬間の全力の楽しみ方も人それぞれなのはわかるんだけど、自分の中ではカメラの出番はこない。本当に全力でその瞬間を楽しんでいたらカメラがなくても思い出すし、取り出すことも思いつかない。あとから、これを思い出せるトリガーを一応形として残しておこう、って思ってその風景を撮るとかならわかる。ただその保存という行為と、全力で楽しむという行為はどうしても自分の中では同時に共存できない、、だから青春の瞬間はカメラに収まらないと思うの。
書いてて、うわ、ちょっと流石に過激だな、って思ったので少しこの考えは改めます。ただ今はこう思ってます。

おわり

斎家リック

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