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都市で遭難 2023/03/24 ボボボブログ 雑日記

話の種

  • 野沢雅子の作品の力の話

  • ミミック騒動を読んで。作家の個性の飽和が、実社会での個性の飽和と重なった

  • 人の文明ってどこまで行くんだろうねー。に対して思った、発電技術の必然性。日本、核融合技術で秀でているらしいので、ぜひ、がんば。

  • 性を否定されると歪む

  • 遭難。携帯なしで生きる。

  • アメリカ人になりたいと思っていたのか?自分は。


創作物の力

野沢雅子さんの語るとあるエピソードでめちゃくちゃ泣いた話をしたい。

ある日、余命宣告をされたドラゴンボールの大ファンの子から手紙が届いたらしい。

「この子は2月まで持ちません。どうかこの子のためにサインを書いてください。」

それに対して野沢雅子さんは、すぐにレコーディングスタッフを呼んで、悟空の声を録らせた。

「8月になったらオラの映画がやる。だからそれまで絶対に生きるんだ。いいか、約束だぞ。映画館で待ってっかんな。」

そしたらその子はなんと、本当に奇跡としかいいようがないのだが、本当に8月まで生きながらえて、映画館に観に行くことになった。しかし病状はもちろん最悪で、ベッドのまま映画館に行くことになった。

そんなにひどい状況だったのにも関わらず、彼は親や医師の反対を振り払って、映画館の席に座って最後まで鑑賞した。

次の日、こときれたように彼は亡くなった。

改めて、少年の専属医から野沢雅子さんに手紙が来た。

「私たち医師は、何年も何十年もかけて勉強して、研究してなんとか人の命を長らえさせようと努力してきました。それでもどうしようもなくて。
アニメの力ってなんなんでしょうか。僕は今思い知らされました。」



この経験を語る野沢雅子さんの声を聞いていて、自分は涙が止まらなかった。
本当に色々思うことがある。

芸術、創作の力って本当に想像を超えるものがあるな、って改めて考えさせられたのと、

一番思いを馳せてしまうのは、その映画を見ていた時の少年の心の中。彼はどんな気持ちで8月まで過ごしていて、鑑賞している時はどんなことを考えていたんだろう。いや、無我夢中になって楽しんでいたんだろうな。そうだったと願う。

彼のその時の気持ちはおそらく本来、無理に察そうとするものじゃない。察し切れないだろうから、部外者は手を引きましょう、となるところだと思うの。

仮に映画のワンシーンだとしたら、椅子から頭頂部がぴょこっと出た彼の後ろ姿しか映さないでカメラが後退して終わると思う。少年の表情も声もそのシーンにはいらない。映画のスクリーンの逆光で黒く塗りつぶされているだろう。


なんか、本当に、心揺さぶられましたという話。



都市で遭難

昨夜は友達の家に泊まって、ソファで寝ていた。なぜだか全然寝れなかったので、幸い持ってきていたパソコンで色々と作業を進めていた。お絵描きの最終仕上げ、note、課題、などなど。

そしたら気付いたら朝7時でした。わーびっくり。そのまま寝て起きたら15時。19時には別の用事があったので、色々その間の4時間で用事を済ませたかった。

減ってきた生活必需品を補充したり、前日の晩飯から何も食べていなかったのでご飯を食べたり。

昨夜寝る前、友達(家主)に携帯の充電器を借りるのを忘れていて、夜間充電ができていなかったので携帯は15%程度しかなかった。でもまぁいけるやろ、と根拠のない自信と共に5時間に及ぶ旅に出ることになった。

地図アプリを使っていると充電なんて結構簡単に蒸発する。気付いたら5%になっていた。そんで、外が寒すぎたせいで5%から急に電源が落ちた。おい。心の準備も道順の暗記も全然してないんだが。

自分が住んでいる都市はマス目上にブロックで区切られていて、中心から東西南北にどれくらい離れているかを元に住所が割り当てられる。

要するに、東西の数値と南北の数値の2つを把握できれば大体の地点が推測できるというわけ。それでなんとかGoogleマップで事前に調べていた、予定地点である店舗の数値を暗記していたので、それを頼りに1時間以上住宅街を歩いた。

正直めっちゃ怖った!となぜか雰囲気で書きそうになったけど、実際楽しかった。一人でも、音楽がなくても、意外と精神的に余裕だった。

むしろ、何かをしないといけないくても、今は歩く以外何もできませーんという言い訳ができる感じが結構精神衛生に良かった気がする。

たとえば自発的に瞑想をするとする。そしたら、それはいつでもやめられるし、やっている最中も、これやらないでテスト勉強した方がいいんじゃないか?と思ってしまうことができる。

それとは違って、半ば強制的に何もできない状況に落とし込まれたのは、結構静かで心地よかった。

入院して休養をとったり、お前もう休めよと上司に無理やり休暇を取らされるような感覚に近いのかもしれない。

無事店にも着けたし、その後そこを軸にぷらぷらしていたら見知ったバーガー屋を見つけたので入って、飯食って、充電残り3%のiPadをWi-Fiに繋げて、家まで直通の市内バスを見つけて、乗れた。

いや、実際はたまたまその時、腕時計がないせいで時間を確認する方法がなくて間違ったバスに乗ってしまったんだけど、終着がバスターミナルで、そこからまた大学行きのバスを見つけれたのでなんとかなった。多分ここが一番ピンチだった瞬間で、かつ一番面白くない乗り越え方をしたポイント。


全能風なスマホ

今日の日記のトップ、遭難してる自分の様子のつもりで生成したんだけど、実際は携帯を使えないのであんな雰囲気の写真をあんな状況で撮れないわけですよ。

何が言いたいのかというと、携帯がない環境特有の、その瞬間を携帯で残すことはできないということ。

いや、文字に起こすと当たり前なんだけど、その概念から自分はなんとも奇妙な感覚を得るわけで、その感覚を言語化するのに自分は今悩んでいます。

携帯というテクノロジーが持つ、漠然とした全能感が不意に打ち破られるシチュエーションを僕らはいまいち想像することができない。だから、その不意に打ち破られる状況を見るんじゃなくて、打ち破られた瞬間に対して万策尽きてぼっ立ちしている携帯君の方を見ることで初めて、あ、お前それできないんだと理解する。って感覚。
これで伝わるんかな、、?

まぁでもだからこそいまだにカメラを持つ人はいっぱいいるんだろうな。

携帯のない瞬間が自分は好きなんだけど、同時に記憶力が悪くて、その瞬間を記録したくなる自分もいる。しかしこれは同時に存在できないので、conflict。
要するにカメラ欲しいなぁ、、


アメリカ人になりたいのか?自分は。

その一連の事件の後、日本人の友達と一緒にラーメンを食べに行った時にした話があってだな。

彼はここ、アメリカの大学の正規生。なので彼は自分みたいな留学生と何人もあっているのだが、彼曰く留学生はほとんどアメリカ人ではなく、他の留学生とばっかりつるんでしまうらしい。

それで僕がアメリカ人ばっかとつるんでるのが珍しい、すごいと言ってきた。

うーーんまぁ言われてみればそうかもしれない。でもそれを言われてなんとなく感じたのが、

自分ってアメリカのコミュニケーションスタイルやその他文化を少し過剰なまでに身につけようとしてたかも、ということ。

楽しくてストレスじゃないからそのままでいいんだけど、なんでわざわざそんなことしてるんだろう、という動機の不明さに引っかかった。

もしかしたら無意識的に、ハーフとしてアメリカ人的なルーツというか側面を開拓して、自分を拡張したいのかもしれない。今のところ、アメリカ的文化や世界観が自分にめちゃくちゃあってるかと言われたら多分そんなことはない。ただ、だからこそもっと理解したいのかもな。


レッチリをちゃんと聞いた

自分が大好きなKroiの2020年のSuck a Lemonのライブ映像を自分より音楽が詳しいアメリカ人の友達に見せ聴かせたら、こいつらレッチリになろうとしてんか?と言われた。

Kroi愛故に2割ムッとしつつ、8割純粋にレッチリってそんな感じだっけという好奇心に駆られて、今日youtubeでレッチリのライブを聴いてみた。

めっちゃいいね!!いや、ごめん好みとしてはKroi
の方が聞き慣れてるのもあって好きなんだけど、レッチリが確かにメチャクチャすごいのはわかった。あとはKroiとの類似性も少しわかったので聴けて良かった。

演奏力の高さとかそんなことは僕がわざわざ書く必要ないと思うので、省きます。

ムースターシュかわいい。

そんで僕激推しのKroiの結成当初のライブも載せます。


で終わろうと思ってたんだけど、こんなものを見つけてしまいました。

なんじゃこりゃ。終わった時に部屋で一人で拍手しちゃったよ。
音楽ってやっぱ最高なんだなって思わされました。
音楽って最高。

ガッキーに嫉妬し始めるわ。


また。

斎家リック

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