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ゲームモデルとプレー原則とプレー動作原理

戦術的ピリオダイゼーション。プレーモデル。プレー原則。カオス。フラクタル…

聞いたことがないようなキーワードの連続に頭を後ろから殴られたような気分になっている。と同時にそれぞれの言葉の意味の理解が進む度にワクワクするような気持ちにもなるから不思議である。

これらのキーワードを知ったのは、バレーボール雑誌ではなくサッカー雑誌である。推測に過ぎないが、サッカー雑誌の中でもかなり尖った視点で様々な情報を届けている雑誌だと思う。今回の特集は戦術的ピリオダイゼーションについてであった。

footballista 特集 日本サッカーが今、知るべき戦術的ピリオダイゼーションって何?

サッカーに関して言えば完全なる無知とも言える僕には理解しきれない点もあったが、総じて強く知的好奇心をくすぐられる内容ばかりであった。サッカーの世界トップリーグで指揮をとるコーチやトッププレーヤーの声が多く掲載されており、コーチングを学んでいる私には刺激たっぷりの内容であった。

ゲームモデル。プレー原則。プレー動作原理

さて、ここまで雑誌の宣伝みたいになってしまったが、本記事の趣旨はコーチングにおける一つの提案である。

ゲームモデルプレー原則プレー動作原理をコーチングの羅針盤にしてみてはどうか?という提案である。

それでは、早速それぞれの言葉が意味するところについて説明しよう。

ゲームモデル…チームが目指す、試合の模型。「どうプレーしていくか」というチームのガイドであり、全員が頭の中で共有しておかなければならない地図。

プレー原則…ゲームモデルに基づいた、各局面でのプレーの行動規範。主原則、準原則、準々原則……というように、主原則からさらに原則を細分化し、共有していく。
『footballista 3月号 戦術的ピリオダイゼーション用語辞典(p34,35)より引用』

プレー動作原理…バレーボールで言うところのパス、レシーブ、トス、スパイク、ブロック、サーブといった各プレーが最も合理的に行われるために必要とされる体の動きの仕組み。
※いわゆる「型」と呼ばれているものとは一線を画すものであると認識したい。体格や筋肉のつき方、運動経験などが千差万別であるため必ずしも見た目に同じ動作であるとは限らない。あくまで原理であることを理解する必要がある。見た目だけに囚われていては見誤ることとなる。

上記、「ゲームモデル」と「プレー原則」については書籍から引用したものだが、「プレー動作原理」についてはその言葉自体が一般的に使われていないため、個人の解釈で説明を加えていることをご理解いただきたい。

ゲームモデル▶︎プレー原則▶︎プレー動作原理

それぞれの言葉の意味を読んでもらえれば、自然とわかるがゲームモデル・プレー原則・プレー動作原理はすべて繋がっている。

ワンピースのルフィ海賊団を思い描いてみれば分かりやすいのではないだろうか。

海賊団(チームメンバー)のガイドとなるのが海図(ゲームモデル)。そして、その海図(ゲームモデル)をもとに、海賊団(チームメンバー)は約束事(プレー原則)に則って、ワンピースを探し出す(試合に勝つ)ための航海(試合)に出るのである。

そして、航海(試合)の中で嵐にあうこともあれば、海軍と闘うこともある(例えば、相手チームにリードされ、厳しい状況下に陥ることもある)。そんなときに海賊団(チームメンバー)には、様々な状況を乗り越えるための強力な武器(プレー動作原理)が必要になる。もし、この武器が弱小(プレー動作原理がしっかり身についていない状態)であれば、度重なる予測不可能な厳しい状況を打破することはできず、ワンピースを探し出す(試合に勝つ)ことはできないだろう。

無論、武器(プレー動作原理)が素晴らしいものであったとしても海図(ゲームモデル)、そして海賊団の約束事(プレー原則)がなければ、様々な困難に打ち勝ってワンピースを探し出す(試合に勝つ)ことはできない。

これは一種の例えだが、私のイメージとしては、こんな感じで3つは繋がっている。

育成におけるゲームモデルとプレー原則とプレー動作原理の存在意義

極めて個人的で勝手な妄想ではあるが、日本のトップからグラスルーツまでの全育成カテゴリーにおいて、一貫指導のコンセプトがあればいいなと思っている。

全カテゴリー共通の「ゲームモデル」と「プレー原則」そして「プレー動作原理」を言語化し、それを全国で日々現場のコーチングに取り組むコーチに共有することができれば、それは日々のコーチングの一つの指針となり、各々のコーチが共通言語をもった上で、それぞれのコーチが持つ「いい味」を出せるのではないかと思っている。

そして、これら3つの指針が時の経過とともに、少しずつ精査されてゆけば、これらはコーチにとってのコーチング原則と言われるような意義のある存在となるのかもしれない。

唯一の正解は存在しない。時と経過と共に正解でなくなることもある。

しかし、ここまで言っておきながら、本記事での提案が本当に正しいものであるのかは分からない(サッカー雑誌から得た知識を元にして、自分なりにバレーボールにも置き換えて考えてみた!程度のものだから)。

それに、これまでのバレーボール戦術の変遷やルール変更の歴史などを振り返ってみれば分かるのだが、普遍性をもったゲームモデルやプレー原則の構築なんて不可能であると思うし、それが誰にでも(カテゴリー・レベル・性別など含め)フィットするものなのか?と言われれば、おそらくそうではないだろうと思う。

しかし、こうした考え方を他競技から学び、バレーボールにも当てはめて考えてみるといったプロセス自体には大きな価値があると思っている(から記事を夜な夜な書いている)。

いずれにせよ、日本としての育成の在り方みたいなものについて開かれた議論がもっともっと加速化されていくことを心から願って止まないのである。

バレーボールに関する記事を執筆しています。バレーボーラーにとって有益な情報を提供することをコンセプトにしています。