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バレーボールの誕生

バレーボールの歴史を知るには、バレーボールの誕生についての言及から始めなければならないだろう。いつ、どこで、どんな社会的な背景があったのか。また誰によって開発されたのかといった具合に。バレーボール誕生までの経緯については色々なところで解説されていると思う。本記事では様々な文献の力を借りつつも、著者自身が感じたことや考えたことなども交えながらできる限り詳しく見ていきたいと思っている。それはなぜかというとバレーボールの誕生は人の誕生と同じように偶発的遺伝子の掛け合わせによって奇跡的に実現したもので、そこには語られるに値するほどの物語が存在していると思うからである。すべての物事がそうであるようにバレーボールの存在も一つのボタンのかけ違いが「もし」あったならば、「なかった」ことになっていたということを感じてもらいたい。もしそれを感じてもらうことができたのであれば、バレーボールに対する愛情もさらに深いものとなるだろう。著者としてこれほどの喜びはない。

では、早速バレーボールの誕生までの経緯を見ていこう。どこまで遡るのかという問題もあるのだが、ここではバレーボールの親にあたるスポーツについての言及から始めよう。すべてのスポーツがそうであるようにバレーボールも突然発生したものではないのだ。バレーボールの親とも言うべきスポーツ。それはバスケットボールである。「えっ?そうなの?」という声が聞こえてきそうではあるが、その気持ちは分かる。なぜならバスケットボールとバレーボールを同時に連想したときに両スポーツに共通する部分をあまり多くは見出すことができないと感じてしまうからだ。実際、私自身もそうであるからだ。ここからはバレーボールの親とも言うべきバスケットボール誕生の経緯を遡ってみていきたい。親を知ることは子を知ることにつながる。間違いない。

バスケットボールの誕生

バスケットボールは1891年、カナダ人青年であるジェームス・ネイスミスによって開発、いや産まれた。「バスケットボールはカナダ発祥のスポーツなのか?」と疑問に思った方も多いかもしれない。しかし、バスケットボールは読者の期待通りアメリカ発祥のスポーツである。彼の指導教授であったYMCA(Young Men’s Christian Association:キリスト教の信仰に基づき社会活動を推進する組織)のルーサー・H・ギューリック博士の教えと自身の子ども時代の遊び経験を融合させてバスケットボールを発明したのである。そして、このバスケットボールの誕生に大きな影響を与えた博士の教えがどういったものであったのかを知ることは重要である。彼の教えはネイスミスの著書にこう記されているのである。次に引用しよう。新しいスポーツを考えるにあたってのギューリック博士の言葉は次の通りである。

“There is nothing new under the sun. All so called new things are simply recombinations of the foctors of things that are now in existence.” 

(太陽の下で行われるスポーツは何も新しくない。新しいスポーツと呼べるものは今すでに存在しているものの要素を単純に結合させたものになるだろう。)

ここでの一文を一単語に置き換えるのならば、まさにリ・クリエーション(re-creation)、再創造である。青年ネイスミスの再創造によってバスケットボールは生まれたのである。

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