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ルールと戦術の変遷から生まれた『テンポ』と『スロット』の概念を考察する

漫画「ハイキュー!!」人気のおかげで、これまで広く認知されていなかったバレーボール用語が多くの人たちに知られるという嬉しい事態が起こっている。

『バレーボール用語』という共通言語を持つことで、バレーボールについてともに考え、議論していくということができる。共通言語を持つことはバレーボールの発展には決して欠かせない。

しかし、こうして漫画を通じ数多くのバレーボール用語が広く浸透しつつあるということを嬉しく思う一方、こうした用語を改めて眺めてみたときに自分自身の用語に対する解像度が決して高くないと感じるものもある。用語を知るに留まるのではなく用語に対する解像度を高めていくことは現代のバレーボールを知るための重要な手がかりになるだろうし、ひいてはこの先に待っている未来のバレーボールを創り上げていく大きな原動力にさえなるのではないかと思うのだ。

本記事では、数あるバレーボール用語の中でも人によって認識や解釈が曖昧になっていると思われる「ある用語」に焦点を当てて色々と思考を巡らせてみたいと思う。


『テンポ』という概念

ある用語とは『テンポ』である。

さて、そもそもテンポという言葉はどこからやってきたのか。新しい単語などを知るとその語源が気になる性分の私はただただ興味本位にその起源を探ってみた。するとその起源はイタリアにあるというのだ。なんだかイタリアというだけでオシャレな感じがするから不思議だ。

テンポは、元々は音楽用語として使われ始めたもので「時間」を意味するとのことである(私はテンポと聞くとすぐにメトロノームを思い浮かべた)。音楽とスポーツというのはなんとなく親戚関係のような感じもする(楽しむという点で)ので親和性が高いような感覚もある。いくつかのインターネット辞書を参照してみたが、最も興味をそそられたものをここでは紹介しよう。ここではあくまで音楽用語として説明させている点、ご了承いただきたい。以下、引用である。

テンポ(tempo)…
楽曲が演奏される速さを意味する音楽用語。イタリア語の原義は「時間」を意味する。

17世紀の中ごろまでは、基本となる音符の音価(拍の単位)が人間の脈拍(毎分60~80)に一致させられており、そのためテンポは音符そのものによって自動的に決定されていた。しかし、しだいに作曲家はアダージョadagioやアレグロallegro、プレストprestoなどの用語を用いて、自己の楽曲の速さを指示するように変わっていった。この方法は、最初に広くイタリアで始められたため、その後、長い間イタリア語による表示が慣例となった。

さらに18世紀の前半、メトロノームが発明されたことにより、作曲家はより正確に楽曲の速さを指定することができるようになった。なかでもベートーベンは、好んでこの方法を用いている。メトロノーム表示は、1分間に打つ拍数を示し、♩=72(1分間に4分音符を72回打つ)のように記される。

非欧米諸国では
、音楽の伝承が口伝による場合が多かったり、音楽そのものがかならずしも定量的にとらえられなかったりするため、西洋音楽で用いられているテンポの概念に相当するような音楽用語、ないし音楽実践はあまりみられない

日本大百科全書(ニッポニカ)

テンポの本質は「時間」。もう少し詳しく説明するなら、2つの時点を結んだ時間間隔と言えるだろうか。

音楽界のテンポ

私自身、上記引用部分を読んで興味を最も唆られたは、元々1つのテンポしか存在していなかったという点である。しかも、その唯一のテンポが人間の脈拍に自然と一致していたというのだからなんとも面白い。音楽は自然に生まれてきたものなのだろうということが感じ取れる。それにしても人間というのは本当に飽きやすいものだ。作曲家たちは最も人間にとって自然なテンポでは飽き足らず「人工的」に新しいテンポを次々と創ったのである。そして、それらにオシャレな(?)ネーミングをつけ、さらにはメトロノームという正確にテンポを計測できる機器まで創ってしまうのだからすごい。人間の欲望とは底なしだ。音楽界において、テンポの概念はこうして創られていったのだ。

しかし、その一方で非欧米諸国においてテンポという概念自体が広がっていかなかったという記述も大変興味を惹かれるものがある。西洋音楽ではテンポの概念が定量可能かつ共通認識が可能な形で浸透していった(メトロノームの存在は大きいだろうと思う)のに対して、非西洋諸国においてはそうではなかったというのだ。もちろん、テンポの違う音楽というのは非西洋音楽においても開発されてきたのだろうとは思うが、定量可能かつ誰でも共通理解が得られる概念としてのテンポは存在していなかったのだ。

西洋的な。(非西洋)東洋的な。

こうして音楽界でのテンポの歴史を大変簡易的にではあるが眺めてみると西洋音楽と非西洋音楽の間には決定的に違う『何か』が存在していると気が付く。先述の引用にもあったように西洋音楽において、アダージョ、アレグロといったようにそれぞれテンポにネーミングがなされ、かつ楽曲の速さが定義されていた。そして、さらにはその速さを計測するための機器、メトロノームまで開発されていた。

これに対し、非西洋音楽は実際にはテンポの違う音楽は存在していたものの、テンポという概念が存在せず、誰もが共通理解できる形式でテンポは定義されてもいないし、当然それに係る用語も整えられていない。

これは些細なようで決定的な違いであると思う。

・なぜ西洋音楽においては楽曲の速さを定義し、その速さをより厳密に測るための装置まで作ったのだろう?
なぜ非西洋音楽においては各自の口頭による伝承のみだったのだろうか?

これらの問いに対し次のように答えることはできないだろうか。

西洋音楽はオープン・ソース文化であり、非西洋音楽にはクローズド・ソース文化である。

新しく発明されたものを合理的に、広く人々に伝達し知見を確実に積み上げていこうとするのがオープン・ソース文化。これが西洋文化(西洋的)。

これに対し、新しく発明されたものを特定の人々に対してのみ伝達し、知見を内に閉じ込めようとするのがクローズド・ソース文化。これが非西洋文化(東洋的)。

こうした根本的な考え方の違いがあるのではないだろうか。テンポという概念を新しく開発し、それを明確に定義し、オープン・ソース化したことによって、西洋音楽が世界的に爆発的な発展を遂げていったと考えることもできるのではないだろうか。口頭での伝承によってごく限られた人々にしか広がらないという形式、つまりクローズド・ソース形式の非西洋音楽は、その国や地域に限定された形でのみ継承されてきたと考えることができるのではないだろうか。

ここまで音楽界のテンポの概念やその歴史について色々考えてきたが、書きながら私自身感じたことがある。それはこうだ。

なんだかバレーボール界のテンポの概念やその歴史的な変遷と重なる部分があるんじゃないか?

音楽界とバレーボール界におけるテンポの概念とその歴史的変遷。比較して考察してみても結構面白いものがあるのではないだろうか。そして、またそこから学びがあるような気もする。比較と考察を書き始めると本記事で書きたいことまでなかなか辿りつかなさそうな気配を感じたため、ここについては以上とする。

ルールと戦術の関係

さて、ではバレーボール界でのテンポの話に移っていこう。バレーボール界ではテンポの概念はどのようにして生まれ、広がってきたのだろうか。本章では、この問いに対する答えを考えていきたい。この際、絶対外すことができないキーワードが2つあると思っている。それは『ルール』と『戦術』である。

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バレーボールに関する記事を執筆しています。バレーボーラーにとって有益な情報を提供することをコンセプトにしています。