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お茶漬けみたいな短編小説2「北陸ロマン紀行」

どうぞ。


北陸ロマン紀行

 新幹線の車内チャイムが北陸ロマンと言う曲だと知ったのは、聡子が出張から帰って来てからのことだった。
 哀愁が漂うその曲調と、北陸の土地柄がとてもよく合っていた。その雰囲気に惹かれて、またここ金沢へと来てしまった。今度は仕事で来たのではない。
 彼女が東京を出る2日前、結婚も考えていた恋人から一方的に別れを告げられていた。結婚もしていない男女に別れる理由など聞いても、はっきりとした答えなど見つからない。

 せっかくの金沢だ。出張では泊まらないような観光ホテルを取ろうと思い、ホテルは予約したものの、その後の予定は空白だ。
 彼女は生まれて初めて傷心旅行というものをしたのだ。何をするのかなど何も分からなかった。

「ご夕食会場は2階レストランになります。大変恐縮なのですが、団体のお客様が二組ご宿泊されておりますので、大変混み合っております」
 仲居が申し訳なさそうに話した。
「ご相席になってしまいますが、よろしいでしょうか? それとも、お部屋でお食事をお取りになりますか?」
「……。レストランで大丈夫ですよ」
 聡子にとっては好都合だった。一人でいたい気持ちと、誰かと一緒にいたい気持ちが交錯するのが傷心旅行だ。

 レストランは仲居が言った通り団体客で混み合っていた。聡子は人混みをかき分けながら、自分の席を探した。小さなテーブルに椅子が向かい合っている席には先客がいた。浴衣を着た細身の男だった。こんなホテルに一人で泊まるなんて変わった人なのか。聡子は少し構えた感じで席に着いた。
「ここ、よろしいですか?」
男は刺身を食べて日本酒を片手に聡子の方を見た。
正幸?
 そんなはずはない。こんなところに来ているわけがない。他人の空似だろうと聡子は自分を説得した。
「どうぞ」
男は短く答え、日本酒のお猪口を口に持って行った。
「おひとりですか?」
 男が聡子に尋ねた。聡子は東京で別れたはずの恋人が目の前にいることに焦りを隠せずにいる。
「ええ。まあ」
「金沢はいいですよね。私も出張なんですけどこんなホテルに泊まっています。特に魚と日本酒は最高ですよ」
 聡子はそれを聞いて安心した。正幸は出張が多い仕事ではない。
「私も最初は仕事で来て、とても気に入りました。特に接待で行った料亭はとても気に入りまして」
 聡子もそんな不安が消えたのか、明るい表情で話した。
「その若さで料亭なんて、なかなか通ですね」
 男は屈託のない笑顔を見せて日本酒を注いだ。かなり上機嫌な男の姿に聡子も楽しい気分になってきて、普段は一人ではあまり飲まない日本酒を注文した。
 最初の男の印象は、別れた恋人の正幸に似ているようであったが、時間が経つに連れて別人のように見えてきた。聡子はそれだけ正幸の影を追いかけていた。

 その後二人は流れるように主計町にある聡子が訪れたことのある料亭へと向かった。町屋の風情が残る料亭街とその近くを流れる浅野川の風景が、夜でも灯の光に映る。
「お仕事は何をされているのですか?」
 聡子は男に聞いた。思えば名前も聞いていない。
「……。政府関係の仕事です」
 男は少し言葉に詰まったように見えたが、聡子は気にならなかった。
「政府関係って?」
「外交関係です」
 男はあまり仕事について多くは語らなかった。
「つまらない役人の仕事ですよ」
 すぐに男は明るい表情に戻って、料亭でしか飲めない日本酒について話し始めた。

 二人は店に入ると、男の計らいで個室に通された。
「香林坊や片町よりも落ち着いた主計町のほうが好きなんで」
 聡子は男の話に惚れ惚れとした気持ちで聞いていた。タイプでもあるし、趣味も合う。金沢は私の運命の地なんだと確信にも近い感覚を覚えた。
「私は出張なんですけど、明後日まで特に大きな仕事もなくて。でも東京に帰るわけにもいかないんで。能登の方にでも行ってみようかと思いまして」
「……。ご一緒しても、いいですか?」
 聡子は自分でも大胆なことを言ったと恥ずかしくなった。
「いいですよ! ぜひ行きましょうよ。一人でいてもつまらなかったところなんです」
 男は酔いも手伝ってか少しハイになっていた。聡子も別れたばかりということもあり、名前も知らないこの男との旅路に何かを期待していた。
 それは、正幸と別れたことを受け入れられないままに、新しい男に忘れさせてほしいと願う聡子にとっての薬のようなものだった。
「明日、部屋へ迎えに行きますよ。早朝の能登も綺麗だって聞きますので、ちょっと早い時間に出ましょう。朝焼けと日本海がベストマッチだと聞きますよ」
「ぜひ見に行きたいです」
 聡子は目を輝かせた。
 薬の副作用は強い。

 男と聡子が能登半島へと出かけてから一週間後、北國新聞の小さな見出しに「29歳会社員女性行方不明」という記事が載っていた。
 警察の捜査員が聡子の宿泊したホテルの宿泊者名簿を捜査したが、男の名前は見当たらない。仲居などの証言でも男と出ていくところを目撃されていた。
 男は一体誰だったのかは結局わからなかった。

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