天気日記20180809
木曜/はれ
とある道路の話。
国体が地元に来るので道幅をひろく、歩道をひろくするという計画があった。
それをうけてお役所が道沿いのたんぼや家屋、事業所の持ち主にせっせと交渉をしていったのだろう。
結果として、道幅は広くなった。
自転車が道路の端をはしるということもなくなり、事故も減ったのだろう。
しかし、その道の一部は、広くならなかった。
小屋が取り残されていたからだ。
どういう小屋かというと、田舎のひとならわかっていただけると思うけど、たんぼの端にある木造とトタンでつくられた小屋だ。何に使われるかよくわからない木材があったり、たまねぎが吊るされている、あれである。
その道は5年ほど前に拡張されたのだけれど、
小屋はずっとそこにあった。
地主のおじいさんが役人を怒鳴って追い返すさまが思い浮かぶ。
「あの土地はな、おまえらなんかに、ぜってぇ売らねぇから」と。
実は、意固地なおばあさんかもしれないけれど、ここではおじいさんということにしよう。
三ヶ月くらい前から小屋の取り壊しがはじまった。
そうして数日前、もとから小屋なんてなかったかのごとく、道が拡張されていた。
その広くなった、一部の舗装がやけに新しい道をとおった時に、すぐ思いついたのは、おじいさんの死だった。
「あの土地だけは売るなよ」と遺言をのこしたのかもしれないけれど、相続者である息子(これも勝手な想像)は公共の福祉にたいする理解がある方だったからかその土地は売却された。
これは勝手な思い込みの話だけど、時の流れをかんじた。
土地の風景というのはすこしずつ変わる。
そこにも、ひとが生まれ、ひとが育ち、ひとが老いて、ひとが死ぬという人生のループを感じた。
現場からは以上です。
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