もう一度訪れたい場所には視界一面に広がる茶畑がありました。
沖縄旅行中、同じく旅行に来ていたファミリーに現地の子と勘違いされて、おすすめの飲食店を尋ねられたことがあります。
私は生まれも育ちも関西です。
こんにちは。
彩夏です。
随分と前にこのような記事を投稿したことがある。
自分の過去記事って文章が下手すぎて心がえぐられるけれど、参考に。
この記事の中で、私のルーツは鹿児島県と書いている。
でも私にとっては故郷でもなければ、縁もゆかりもない。今は恐らく親戚と呼べる人もそこにはいないのかもしれない。
私の家系は、鹿児島県頴娃町というところから始まっているらしい。
昔はとにかく何もない所だったようで、父の祖父、私からすると曽祖父になるのだが、その田舎ぶりに堪えられず兄弟のうち数名と、その他の兄弟に相談することなく財産である土地を売り払い、頴娃町を飛び出し関西に移り住んだという、クズ歴史がある。
そんな過去があるものだから、関西に移り住んだ数名は二度と頴娃町を訪れることはなかった。
私の父は事情があって、高校を卒業するまでは曽祖父に育てられている。
そこに少しの美談もなく、深酒が原因で暴れる曽祖父から逃げるため、父はよく曽祖母と裸足で家を飛び出したと言っていた。
そのような過去もあり、父は曽祖父に対して特段の思い入れがあるわけではなかったようだけれど、曽祖父が亡くなったあと、よく聞かされていた頴娃町には一度行ってみたいと思っていたようだ。
私が中学生か高校生の頃、夏休みの家族旅行で頴娃町を訪れたことがある。正直、あまり覚えていない。
ただ、曽祖父の従弟になる方が施設に入所していることを知り、その施設にお会いしに行ったことはよく覚えている。
だけど、その従弟のおじいさんの方言が難しく、何を言っているのか本当にわからなかった。奥様が通訳をしてくれたのだが、おじいさんの方言よりは幾分か聞き取れるという感じで、6割ぐらいしか私は理解できなかった。
↓ 参考に
さつま芋とお茶の生産がとても盛んな農業の町「頴娃町」
私の記憶の頴娃町は、このように至る所に茶畑広がっていて、とても清々しい所だった。
開聞岳を見たような、見てないような
指宿まで足をのばし、池田湖でイッシーを目撃
私の記憶は曖昧だから、偉そうに頴娃町を語ることはできない。
父がきまぐれに思いついた旅に巻き込まれ、よく分からないまま商用のタウンエースにひたすら揺られながら行った場所。
だけど不思議なもので。
国内、数々色んな場所に旅行したけれど、もう一度訪れて、ゆっくり散策したい場所は頴娃町なのだ。
私にとって親から与えられたものは体験であって、経験とは少し違う気がする。
もちろん大切な思い出ではあるけれど。
だからいつか鹿児島に、自ら「経験」をしに行こうと思う。
ずっと先の話になるけどね。
画像は《Yuki Taniguchi | インバウンド業界の人》さんからお借りしました。
それでは。
最後までお読み頂きありがとうございます。
ばいなら
66日ライラン/54th
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