真宗大谷派 西方寺

新潟県柏崎市北条地区にある真宗大谷派(浄土真宗)のお寺です。同じ市内に西方寺は2つある…

真宗大谷派 西方寺

新潟県柏崎市北条地区にある真宗大谷派(浄土真宗)のお寺です。同じ市内に西方寺は2つあるのでご注意を…。

最近の記事

「遺す」エネルギーに圧倒されたお話

先日、富山県に研修で出かけてきました。 北陸は蓮如上人と縁の深いお寺が多い中、瑞泉寺を本願寺の第5代、綽如上人が建立されるなど、富山の地は蓮如上人以前から布教活動が行われており、古くから浄土真宗の教えが土地に根付いていたことがわかります。 加賀藩・前田家との関係、本山の再建に携わった彫師が瑞泉寺再建で井波に技術を伝達し、井波彫刻につながったお話などを聞きながら、現在の建物に遺された証を見て、時代の変化に対応しながら浄土真宗の教えを必死で伝えようとしていた方々の息づかいを感じ

    • 春は納骨の季節?(納骨で何を準備したらいいのか?)

      春の陽気になり、桜もあっという間に開花〜満開〜散ると進んでいきました。 新潟をはじめ雪の降る地域あるあるだと思いますが、春は納骨や法事など、冬場に控えていたお参りの予定が土日を中心に入ります。 納骨に関しては、四十九日に一般的に納骨をすることが多い地域ですが、12月や1月のお葬儀の方々はさすがに四十九日が雪深い時期にあたってしまうので、雪解けを待って納骨となります。 街場の平地であれば、墓場も3月中旬には雪が消えていることも多いですが、山間地の場合は陽の光が当たらないことも

      • 謎のブーム「墓じまい」

        「うちの家も墓じまい考えなきゃいけないと思ってて…。」 最近、こういう話を切り出されることが多くなってきています。 少子高齢化の現代では家のお墓を守る人がいない家族が増えてきているのは確かであり、メディアでもそういうニュースが取り上げられています。 しかし、よくよく聞くと疑問符の浮かぶケースも多々あります。 特に、子どもが同居していたり、または近くに同じ苗字を名乗って住んでいたりする方でも、墓じまいの話題が出るのです。 今までの感覚からすると、そのままお墓が継続されていく

        • 葬儀が伝わらない?

          昨年、近隣の同じ宗派の若手僧侶の方々とともに葬儀リーフレットを制作しました。 今回のものは柏崎市・刈羽村・旧小国町というエリアを想定したものですが、中越地方、新潟県内でも大方の部分は当てはまるかと思います。 お寺が葬儀のリーフレットを作るというのは、もしかしたら一般の方からすれば「え、今まで作ってなかったの?」と思われるものかもしれませんね。 そうなんです。今まで意外と当たり前のことじゃなかったんです。 私が見聞きしてきた中で、主に2つの理由を推測しています。 葬儀を

        「遺す」エネルギーに圧倒されたお話

          農村の暮らしと、人と関わるということ

          昔の農村の生計の立て方 私達のお寺のある地域は、新潟県内によくある田んぼを中心とした農村地域。 お参りの中ではそうした農村地域でどんな生活をしていたのかという話題がよく出てきます。 昔はほとんどの家が農家であり、自分の家の田んぼで米を作って生計を立てていました。 田んぼだけで家族を養えない場合は、家に蚕を飼う養蚕業や、体力のある男性が雪に囲まれる冬場に雪の少ない地域に単身赴任しての酒造りや土木業などに出稼ぎに行くという方法をとる家もありましたが、生活の基本は農業にありまし

          農村の暮らしと、人と関わるということ

          お寺の簡単な自己紹介

          はじめまして。柏崎にある西方寺というお寺です。 これからnoteを始めるにあたって、少しだけ西方寺の紹介をしたいと思います。 京都の東本願寺を本山とする真宗大谷派に属しています。 西方寺が現在の場所に拠点を構えたのは、約420年前、戦国時代の末期。 その前には小千谷市の片貝地区、上越市の頸城地方、長野県…とお寺を転々と移動してきたと言われています。 お寺が移動するというのは、今ではほぼ考えられないですが、江戸時代までは戦乱などもあり、様々な事情で移動するということもあった

          お寺の簡単な自己紹介