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「遺す」エネルギーに圧倒されたお話
先日、富山県に研修で出かけてきました。
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北陸は蓮如上人と縁の深いお寺が多い中、瑞泉寺を本願寺の第5代、綽如上人が建立されるなど、富山の地は蓮如上人以前から布教活動が行われており、古くから浄土真宗の教えが土地に根付いていたことがわかります。
加賀藩・前田家との関係、本山の再建に携わった彫師が瑞泉寺再建で井波に技術を伝達し、井波彫刻につながったお話などを聞きながら、現在の建物に遺された証を見て、時代の変化に対応しながら浄土真宗の教えを必死で伝えようとしていた方々の息づかいを感じ取ることができました。
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今回の数々の場所を訪ねて感じたのは、圧倒的な自分事と、「何が何でも自分が遺す」という、意地と言っても差し支えないほどの強い人々の意志によって、支え続けられているということでした。
勝興寺様や善徳寺様のように、長い間同じ伽藍を維持し続けるお寺。
瑞泉寺様のように、何度火災で焼失してもその都度再建するお寺。
赤尾の道宗のように、雪深い山を越え、長い距離を歩き、毎年元旦の朝のおつとめに欠かさず参ずる僧侶。
富山別院にいたっては、廃仏毀釈の関係で富山市内のお寺の多くが取り壊されましたが、ご門徒の多くが教えを聞く場を求めて、自らの手で神通川から土砂を運んで富山城の堀を埋め、その土地に開設した説教所が由来となっています。
自分にとって必要な場所を自分と同じ志を持った人たちと一緒になって作り、そして自分たちで守ってきた人の積み重ねが建物に込められていました。
何が過去の多くの方々を突き動かしたのか。その熱量や動力源は、今の私達には全く想像がつきません。
しかし、お寺に限らず、現代の様々な現場にある問題を解決するのは、そうした自分事と熱量かもしれないと思いました。
「何が何でも遺したいものはあるか?」
そのような問いかけの声が聞こえてくるような研修でした。