そういう時あるよね。
昔、割と長く勤めていた会社を退職した。
最終日、なぜかバイト計算の給料を渡される。
そして、
「お前にだけはどんなことがあっても退職金は出さない」
その言葉通り、それ以外は何もなかった。
その時の僕にはそれでも良かった。
早く、終わりにしたかった。
でも、それだけではなかった。
「携帯を数日貸して欲しい」
何を言っているのかわからなかった。個人の携帯電話に会社の情報が入りすぎているとのことだった。数日間で本体からその情報全てを削除すると言われた。
無茶苦茶だった。
「僕の個人の携帯なので、それはできないです。普段も使いますし」
「だったら今ここでハンマーで叩き割る。出せ。これは会社は罪にならない。守秘義務だから」
なんのドラマだと思った。業務用の携帯も持たせず、一日中あなた達のせいで毎日毎日、休日も祝日も盆も正月も鳴り響いていた携帯を僕はじっと見つめていた。
「思い出の写真や、他にも大切ないろんなものが詰まっています」
「で、どうする?新しい携帯代はちゃんと払う」
いろんな案が浮かぶ。僕だってそれなりに生きてきたから。
でも、ここは辛抱を選択する。
辛抱一択しかない。それ以外はありえない。
警察でも裁判でもない。ここは損が何よりも得。勝ち負けでも有利不利でもない。僕は人生を進めたい。
気づけばスマホを置いていた。叩くなり、踏むなり、好きにしてくださいと。
でも、彼らは何もしなかった。差し出せば何もできなかった。会社で一番偉い人の他に、見たことのない人達が事務所を出入りし始める。物凄い圧力だった。
その後、知らない人に言われる通り誓約書を書いた。
個人の携帯電話を仕事で使っていた。その情報は退職日に社内で消去し、今後一切の迷惑はかけないと。
そして、みんなの前で一件一件説明しながら消去していく。
電話帳は1000件を軽く超えていて、
ラインは約400件。
約2時間の作業となる。
これはこの会社で得た物だけではない。長年同じ業界にいたという財産であり、足跡でもあった。
「女の名前やな。どこの女や?」
「全部消したほうが早いやろ。全然知り合いおらんやん」
「どんだけ情報握っとんねん」
躊躇いなく、余計なものもどんどん消した。電話帳は100件を切り、ラインはちょうど10人になった。なんて友達が少ないんだと、素直に驚いた。
僕の携帯を盛り上げていたのは仕事だった。
いや、全然そうとは思わなかった。
10人残った。
10人も残ったんだ。
好きと嫌いを合わせて、10人いた。
虚しさの中で、新しい風を見ようとした。
空っぽ。
でも、何が空っぽかわからない。
眼でも、肌でも、髪でも、なんでもいい。
新しい風を感じに行こう。
大切な人から信頼を勝ち取れなかった人がいる。そんな二人が向かい合っていた。
あのね、信頼は勝ち取るものではないみたい。
相手の顔は見なかったからわからないけど、僕はもう知っているつもりだった。
変わったと、言われた。たくさん変わったと、たくさんの人に言われていた。
僕のことを割とよく知っている人にも痛いくらい言われた。というか普通に痛かった。ショックだった。
そんなに変わったつもりはなかったけど、ある時からちっとも尊敬できなくなった。仕事が楽しくなくなった。
変わりたくなかったから、退職を選んだ。
というか、会社の外では変わったなんて言われたことがない。
あのね、絶対に俺はこんなもんじゃないから。
いつか必ず、あの時そう思ってくれた俺を抱きしめに行こう。割と早めに行かなきゃだ。
悔しいから生きている。
なのに、生きることがこんなにも悔しい。
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