音楽の文明。

生きること、その存在を否定されてしまうことは、凡内にはそれほど珍しいことではなかった。

世間にいじめられた心を隠そうと、いや、気づかないように心を麻痺させたいと思う凡内は、その日は音楽をかけることもなく無心で車のハンドルを持っていた。

「そうだ、今日は私のプレイリストを流そうか?」

助手席の白市が言った。凡内と音楽の趣味が合わないことは白市にはわかっていた。凡内にもそれはわかっていた。

凡内にとって音楽とはまるで聖書であり、大好きなバンドマンが奏でる音とその歌詞は血液と共に凡内の体内脳内を駆け巡り、その一人の人間を突き動かしている。今では地元出身の崇拝するバンドマンの歌しか聴かなくなり、その趣味が偏っていることは本人も自覚している。

「いいけど、俺たぶんほとんど聴かないと思うよ」

「言うと思った。Bluetoothってどうやって繋げるんだっけ?」

白市の強引さに負けた訳ではなく、凡内は自分という人生の中の音楽という文化だけではと、ついに生き苦しさを認め始めていた。白市が音楽を自分を飾る為のものとしてではなく、それを歩んできた道としていることは凡内にはなんとなくわかっていた。

「白市、良い提案だよ。予定変更。ちょっと遠目のドライブをしよう」

少し笑った凡内を白市は見た。その少しの笑いの中にあるわくわく感を白市は見ていた。


「これ、流行ってたの?」

「流行ってないよ。この人達の有名な歌は他にあるけど」

「なんでこの歌知ってるの?」

「うーん、忘れた。何?気に入った?」

「いや、全然入ってこないなぁと思って」

「大丈夫?止めようか?」

「いや、止めないで。今日は白市が好きな歌をずーっと流してて」

時々歌詞を否定したり「パス…」と呟いたりしながらも、凡内は白市の文化を取り込もうとする。白市はそんな凡内を知ってか知らずか、隣で時々口ずさんだり、流れる景色を見ながらお菓子を頬張ったり、涙を浮かべながら拍手をしたりと、持ち前のマイペースを発揮していた。

「これ私が一番好きな歌なの!聴いて!ちゃんと聴いて!」

「いや、全部ちゃんと聴いてるよ」

「偶然なんだけど、歌詞の中に私の名前の漢字が2つ入ってるの!すごくない?偶然なんだよ」

「あの…今は白市の声しか聴こえないんだけど」

「ほら!これが1つ目!聴いた?聴いた?」

それから白市のプレイリスト数十曲を二人は一緒に聴いたが、凡内の心には何一つ響くことはなかった。

当初予定していたところよりもずいぶんと遠い神社に来た二人は、冬の寒さと手に残る僅かなぬくもりを共有しながら歩く。

「良い歌あった?」

「ううん、完全試合をくらったのか、くらわせたのか…って感じかな」

凡内は正直にそう言った。少しだけ笑いながらそう言った。白市はそれが良かった。凡内に少しだけ笑顔が戻って嬉しい気持ちになっていた。

二人はその後、同じようにお賽銭を入れて手を合わせた。凡内は強く想った。

これは祈りでも願いでもない。今僕の隣にいてくれる人を絶対に幸せにするという決意表明です。何の助けもいりません。絶対に僕はこの人を幸せにしてみせます。この最高に幸せなドラマを神様に見せてあげてもいいです。見守ってくれていてもいいです。手助けはいりません。僕が絶対にこの人を幸せにするから。

強く、強く、何度も同じようなことを心の中で話した。そして、凡内はゆっくりとまぶたを開く。

「え…あれ…?」

凡内の隣には白市はいなくて、そこには知らないおじさんがいた。

「凡内ー!」

白市が少し離れたところから凡内を呼ぶ。凡内がゆっくりと白市に向かって歩き出すと、大粒の霰が一気に降り出し、辺りに大きな音が響き渡る。この偶然を二人は一生忘れないと、二人は思った。

「長かったね。なんて願ったの?あ、こういうのって聞いたらダメなんだっけ?」

「…知らないおじさんとの幸せを願っちゃった」

「え?何?」

「なんでもないよ。行こう」

白市の歌は全然刺さらなかったけど、どうして白市がこんな女の子のままでいてくれるのかが、なんとなくわかった気がした。ありがとうと、凡内は思った。

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