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リアル 日本沈没か?関西には地震はないはず!
箪笥の下から助けられた私が初めに見た光景は、リビングの異常な有り様…
テレビは ほぼ反対の壁まで飛び(当時はいまと違って ブラウン管のそれなりに重量のあるテレビ)、ピアノも位置がずれていました。ピアノに後ろには、蝶番がぶつかった跡がクッキリと残っていました(写真参照)。
一番のショックはテレビの台座の下の物入れに入れていた ブック型の白と緑色のカミュのブランデーが跡形なく割れていたことでした
一瞬 ガス爆破 か… でも、地震の縦揺れ
1995年1月17日午前5時46分 言わずもがなの阪神・淡路大地震の発生!
私は、その時いまも住んでいる兵庫県宝塚市の六甲連山のほぼ東端の山の麓のマンションで迎えた。もちろん布団の中で熟睡中…
下から床が一気に突き上げられるような縦揺れ。階下のどこかで ガス爆発 が起こったのだと思った。当時関西では、地震は縁遠い存在であったから…
私が寝ていた寝室では、壁際に洋服ダンス・和箪笥・整理ダンス
二度の震災被災と三度の災害ボランティア経験
私は、1995年の阪神淡路大震災 2007年の能登半島地震の被災者です。阪神では、住んでいたマンションは「半壊」、能登半島では管理者として住み込んでいた建物は「一部損壊」の指定を受けました。共に「罹災者証明」をいただいております。
また、阪神では神戸市の一番東端の東灘小学校で、中越地震の時は震源地があった川口町の社協開設の災害ボランティアセンターで、能登半島では被害が集中した輪島市門前町の道下