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鎌倉時代に育てられていた野菜はどんなものだったのでしょうか

昨日、鎌倉時代の家庭菜園面積で、当時の百姓屋敷が500平米程度との推定がある事を受けて、家屋が100-200平米とすると、垣根の内側の畑地面積は200平米程度ではなかったかと書きました。

これは当たらずと言えども遠からずだと思います。

ただ、農水省が1世帯の野菜を自給するための面積を30平米程度としている事を受けて、敷地内の菜園で麦や豆などの雑穀も栽培しているとすると、そこで収穫できる野菜・雑穀が2-3世帯分が自給できる量としたのは、

いろいろ考えてみて修正が必要かなと思いました。

まず、現代と当時では野菜の種類も利用できる資材や肥料も異なります。

記憶をたどると、鎌倉時代頃の絵画に、二毛作をしている例や牛馬耕をしている例があると言う話を読んだことがあります。

ただ、二毛作・牛馬耕は、誰でもがやっていたと言うよりは、やっている人もいた程度のレベルだったようです。

幕末に下田にやってきた米国領事ハリスは、牛乳が飲みたいと思って要求すると、日本では子牛の飲み物であなたにあげる牛乳はないと言われたそうです。

だったら、自分で飼うから一頭譲ってくれと言うと、「日本では牛は田畑を耕すものであなたにあげる牛はない」と言われたとの事です。

結局、牛乳は入手できたようで、下田にはその記念碑があるそうです。
どうも、この時代ぐらいになると、牛馬耕はかなり普及していたようです。

ただ、鎌倉時代はやっている人がいた程度なので、牛ふんや馬ふんがふんだんにあったとは言えないでしょう。
また、米の裏作に麦を育てると言うのも、全面的に普及していたようではないようです。

江戸時代の近松門左衛門の「五十年忌歌念仏」には、ゴボウ、大根、ナス等の栽培野菜リストが出てきますが、このリストには「白菜」がありません。

白菜の歴史は意外と新しく明治以降に日本に入ってきています。大根は日本書紀に収録されている歌にも出てきますし、ナスは平安時代に伝わってきたようです。

ただ、鎌倉時代に大根やナスの栽培がどの程度行われていたのか、今のところ、勉強が追いついていないので分かりません。

江戸時代の農書には、藁囲いや油紙で「保温」をする技術が出てきますが、鎌倉時代にそういう事が可能だったかも分かりません。
もちろん、今のようなポリシートはないわけです。

そうやって考えていくと、200平米の家庭菜園で何世帯分の野菜・雑穀が自給可能だったのかは、もうちょっといろいろ調べてみないとわからないなあと思ったわけです。


2週間予報は、立春以降、かなり最高気温10℃以上の日が増え、野菜が育ちやすい天候が維持されるとの見通しです。
10℃未満の日付が、予報が出る日ごとに違っています。
雨がいつ降るのか、天候も予報も「不安定」なようです。

いずれにしても、昨日、大根を種まきし、小松菜、サニーレタスをまいたセルトレイを保温トンネルの中に置きました。

徐々に春野菜の種まきを進めていきます。

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