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忘年会を屠(ほふ)る

先日、会社の忘年会を欠席した。去年に引き続き連続の快挙(暴挙?)。無言の強制を感じる環境なのだが、一度腹が決まるともう知ったこっちゃない。

普段から丁寧に仕事をし、上司・同僚・部下への配慮を忘れず生きている。限られた分野では評価を受けているので、昨年飲み会に参加しないことで、不都合は何もなかった。(仕事面以外での評価が下がってるのかもしれないけどね。織り込み済み。)

僕は忘年会が好きではない。忘年会というより、飲み会の類が好きではない。なぜなら僕は人と話すのが不得意だからだ。

仕事は別。プレゼンでも話すのは好き。ただただプライベートの雑談が苦手なのだ。

最近は飲み会そのものにも行かなくなった。もともとアルコールに弱く、生ビール2杯でも、翌日は吐き気で使い物にならなくなるからだ。(最近は家でも飲まなくなった。飲むとすぐ眠くなって、好きな学習ができなくなるからだ。)

忘年会、人見知り悲哀史

昔は、忘年会に限らず、飲み会ではしこたま飲んだ。飲めば酔いで自分を(自分自身にさえ)誤魔化せたからだ。それと同じく、煙草もいっぱい吸った。煙草を吸っている時間は煙草を吸ってる人として時間を消費できたので。(ここら辺の人見知りの闘いはアメトーークの人見知り芸人が詳しい、ググられよ。)

若者は上司の話を聞きたくないという。僕は違った。好んで上司の武勇伝を聞いていた。なぜか?自分から話さなくていいし、他のテーブルの盛り上がりとか、そういうものを気にしなくてよかったからだ。

時計を確認する行為はできるだけ抑えるという配慮をかましつつ、僕は上司や先輩の取り留めのない話に相槌を打っていた。(ちなみに最近はそういうことが一切できない。話つまらないと上司でもスマホの方見たくなるし、眠くて普通に欠伸してしまう。)

新卒で入った会社、部署には新人僕ひとりでそのときは辛かった。新人いじりというか、話のネタとして扱われることが多かったが、注目を集めるのもいやだったし、相手の幻滅(なんだこいつおもしろくないなー)を感じるのも嫌だった。

でも苦手なものは苦手なのだ。どうにもできねー。翌年から新人が入ってきて、対象がそいつに移るとほっとしたのを覚えてる。書いててイジメの構図かと思った、いま。

それでも、忘年会は一度は経験してもよか

ただ、もし若者に「忘年会に出た方が良いですか?」と聞かれたら、最初はとにかく出てみたらと答える。観察する気持ちで。

僕も、無言の強制に従った受動的態度とはいえ、過去ずっと忘年会に出てきた。その苦悩を君に強制したいわけではなく、経験することではじめて批判できる目が養われると思うからだ。

実際に体験することで、マイナス面だけでなくプラス面もあること、例えば普段話さない上司に名前覚えられたり、仲間意識の芽生えを感じたり、幹事を任されることでチームをまとめる上でどのように振舞えば良いかなども学べるからだ。

飲み会に出ないという選択はリスクを伴う。孤高といえば格好良いが、何か組織に貢献を証明できるものがないと、それはただ孤立しているだけだ。

どれだけ飲み会がわけのわからない存在だと嘆いても、彼奴らは確かに存在する。敵を知り、己を知れば、自ずとすべきことはわかる。敵が強ければ従うのだ、従いたくなければ、賢く強くなるのだ。狡猾に、勇気をもって。

人見知りの同志諸君よ、力を蓄え、忘年会を屠ろう。

(※コミュニケーション強者はもちろん出た方が良いよ。そんな奴はこんな文ここまで読まないだろうけどw。)


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