『仏蘭西料理と私』~No78 時代は変わる~【龍圡軒 四代目店主 岡野利男シェフ】
前回の続きです。
ある女性が書いた本の内容は恋愛についてと云うよりも、愛についてでした。
人の考え方は、時代や国、地方、地域、季候、季節、年齢などに大きな影響を受けて変化していくものだと思います。
前回の遊びですが、私が小学校の年に東京オリンピックがありました。今考えてもおかしいと思うのですが、休み時間に校庭の楕円のトラックをひたすら走っているグループがありました。マラソンのマネだったようです。それほど時代に影響されていたのです。
今回の森会長の件では、オリンピックという大前提があり、非難されてしかるべきで、それは女性だから話が長いという点と、女性が発言すると次から次への女性が発言することによって会議が長くなるという点での話だと、私は解釈しました。これが女性蔑視だとなっています。私もその通りだと思います。ただその論法がすんなりと胃の腑に治まらないのです。
たまたま前回書き始めたときの女性目線と男性目線の違いを感じていたときに、この問題。実は岡野利男なる男がどんなところで、どんな環境、どんな生活をしているのかの一部でもお見せしないと「ああ、こいつは、こんな考え、思想を持って行動して、この文章を書いているのか」が理解できないなと思って、私の遊び、すなわち興味を書いたわけです。
この災害防止研究所のサイトを見られて、読んで頂いておられる方々には、私が15歳のときから29歳まで、ヨーロッパの一部のフランス文化のなかで生活していたことがお分かりだと思います。それを前提にお聞き下さい。
日本とヨーロッパの一部のフランスの大きな違いがあります。
特にフランスでは、何かをするときや答えに、イエスかノーしか無いのです。というよりも、物事が限定されているのです。
例えば、“戸を閉める”という文章をフランス語にすると、Fermer la porte.フェルメ・ラ・ポルトゥ、Fermer une porte. フェルメ・ユンヌ・ポルトゥ、 Fermer cette porte. フェルメ・セットゥ・ポルトゥ、と三つあります。
Fermer la porte.は、限定して戸を閉める。
Fermer une porte. は、限定されていない、どこの戸か分からないけど戸を閉める。
Fermer cette porte.は、その戸を閉める。
というように、確定された文章になるのです。
それゆえ国際社会での条約に、フランス語が使われてきたのです。
日本語の日常会話では指示代名詞の、“その”や“そこの”、“それ”を付けずに、“戸を閉める”ということで通じてしまう国なのです。この違いは何か?
私が思うに、島国と大陸国の違いがあると思います。
大陸では、嫌ならば他へ行けば良いのです。陸続きなので、出来るのです。
大陸と島の違いは大きく、同じフランスでの経験でコルシカ島での出来事なのですが、私がいた年の前年夏祭りのときに、若者が警備に当たっていたフランスの外人部隊員を殴り機関銃を奪って山で撃ち尽くしたという事件があったそうです。犯人は、皆、知ってはいるのですが、捕まらなかったそうです。
やはり日本の島でも、前に大島の人が云っていました。島では、大きな事件は起こらないと。なぜならば、島で何か起こりそうになると、皆で早めに潰してしまい、和を保つそうです。島では外に逃げられないので、曖昧な部分があるのです。というよりも、自動車のハンドルのように遊びがあるのです。
この文化が、底流に流れたうえでの話です。
で、次に会議とは何か?それは何人かで何かを行ったり、作ったりするために、効率よく物事が運ぶように、色々な、立場の違う人の目で、問題点やより良い方法を提案し、実現するための話し合いだと思います。これが今回、問題になった会議だと思います。しかし、もう一つ、物を作ったり、実行したりする方法があります。
それはある長がいて、その長が総てを部下に指示し、その長の監督の下に現実化する。私たちのような料理人の世界、そう職人の世界です。現実の世界では、どちらも下準備が必要で、ぶっつけ本番では効率も悪く、失敗もあるわけで、現場が混乱するだけです。
この下準備というのが話し合いで、毎回その実現する物に携わる人たち皆が集まって、話し合って積み上げていくのです。どちらにしても両方とも在り方は別にしても、話し合いは必要なわけです。
今回の森会長の話につなげると、女性への発言は私の受けた印象では「もう時期が押し迫っている実行に移す時点で云われても困る。もっと前に、問題点を挙げて欲しい」と、解釈しました。これだと森会長の発言が、腑に落ちるのです。森さんの女性への話は、彼自身、女性を侮辱するために話したわけではなく、彼の今まで生きてきた人生では、普通のこととして話したのだと、私は思います。
今回初めて、今は違う、と云う現実を突きつけられたのではないでしょうか。
これは私を含めて、55歳以上の男性ほぼ全員に云えることだと思います。この人達は、第2次世界大戦以後、バブルが弾けるまで、日本の発展を担ってきた人たちで、経済的にはアメリカに続き世界第二位に押し上げた人たちです。この人達は、その成功体験から基本的に抜け出せず、今回の件がなければ、人生観は変わらずに生活していったと思います。
私も含め、私自身も姪夫婦を見ていて、姪の旦那、佐々木君と云いますが、夫婦共稼ぎで現在45~46歳、本当によく子供の面倒をみています。風呂の掃除から買い出し、いつも感心しています。家内に、子供の頃にお父さんに遊んでもらったかと、問いました。すると怒られて箒で追いかけられた記憶しか無く、ただ年に一度、近所の子供を引き連れて追浜海岸に連れて行ってもらったそうです。私も父には怒られて、殴られる記憶。もちろん母からも。怖い存在でした。
私たちの世代はこれが当たり前。佐々木君世代を見ると、びっくり。
一昨日の昼に決定打を打たれました。
若夫婦、30代前半と息子さんのお母様と生後8ヶ月の赤ちゃんのランチでした。
食事が始まり、お嫁さんとお母さんは楽しく会話をしながらゆっくりと食事。そこへ息子さんはさっさと食べて、赤ちゃんの面倒をいそいそとみているのです。
調理場にはお客様の食事の進行状態を見るモニターがあります。
その画面には、ボブ・ディランの For the times they are a-chaigin!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?