『君の心に火がついて』感想

好きなものを人に見せないようにしていた。他人はどうせその価値を理解してくれないし、あろうことかそんなの面白くもなんともないと貶してくる始末だ。何より、面白かったねと言った人でさえ軽々しく消費していくことがすごく嫌だった。
でも、どうしてこの良さを分かってくれないのだろう、と考えたりしたこともあったし、最近は諦めるようにして黙り込んだ。
現代において問題視されることは今になって悪いと言われるようになったのではない。そう感じる人たちがいたとしても力が及ばなかったり、それを変えるには途方もない苦労が必要で、解決することはとても面倒臭い事だから避けられてきたのだと思う。
そんな事を考えていた時、『米ルイジアナ州、トランスジェンダー選手の女子スポーツを禁止』という記事を読んだ。複雑な気持ちになる。心の性別を認めた結果、体の性別が競技に影響を及ぼすことなど分かっていたはずで、それでもその人が女性として出場してよいと一度は認められた事実。考えれば考えるほど何が最適なのか分からなくなる。この社会は誰かだけのためでなく、みんなのためであるべきなんだけど、そのみんなに私たちは必ずしも含まれているのだろうか。
しかし、現代で生きる私たちは多くの問題を知ってしまった。一昔前に作られたシステムには欠陥があったり、時代に合わない習慣があったり、かつては隠されていたものが鮮明に見えるようにもなった。ただ流されるままで生きていけるのだろうか。考えて眠れなくなる夜がある。
そうして何度も頭をよぎるのは「面倒臭いことは大抵とても大事なこと」という濁ることのない事実だ。
無力な私には何も変えられないと知っている。この世で生きるほとんどの人間は特別じゃない。平凡だ。でも、そんな私も生きていくしかない。そのためには、それがたとえ自己満足であろうとも考え続けるしかないということ。答えが出せなくても、考え続ける行為そのものが激流の中でも流されることなく立っていられる唯一の方法ではないかと思う。
この本を同居人に説明した。同居人は私が好きだと言うものをほとんど読まないけど、否定しないし、気安く褒めたりもしない。だからこそ心置きなく話せる。
作中では課長に昇進する女性が主人公の回があり、女性も活躍しやすい職場に変えていこうと奮闘している。その日々の中、飲み会で「男女で差があるって話最近よく出るけど、そういう差別?みたいなの本当はないんじゃないですかね」と言い出す男性社員と話をするシーン。とても印象的な描き方をされていたことを同居人に熱弁した。
「ここのシーン、この課長が帰った後に男性社員は『本気で論破しちゃったじゃん』って他の社員に話してるのよ。本当寒いんだけど」
「まあ、そういう人間もいるよね」
「でもまた別の社員さんの心情も描かれててさ。『お前は論破したんじゃない。見限られたんだよ。この飲み会メンバーの何人かから完全に切られたの気づいてないのか…』って!すごく描写が綿密だった」
「それ、鬼滅の刃の描き方と同じなんだよ」
なるほど、確かにそうだと思った。鬼滅の刃では登場人物の心情がきっちり言葉にされていて、アニメだと画面を見なくても流れが分かると聞いたことがある。子供たちがこぞってハマった理由の一つでもあるのだとか。
話を戻すが、私も課長になった女性が見限った所までは分かっていた。でも第三者視点がなかったら、二人の話を聞いていた人たちの中でドン引きしてる人がいることまでは考えられなかったと思う。難しい話ではなくても想像が及ばない時がある。この作品を読みながら得たものの中に、気付かぬうちに作中の登場人物に補完されていた部分もきっとあったのだろう。
何かを「良い」と思う私がいる、それを知らない人たちがいる。その良いものを目の前に出したとしても、見てくれる人はわずかだ。それを通し何かを得てくれる人はもっと少ない。見上げた夜空で名のつかぬ星を見つけるように、ここに確かに光を見つけた自分がいるというのに。
それならば、私はこの作品の登場人物のように言葉を通し、あなたが読んだものに現実を重ねて補完したいと思った。私が好きになる作品は、いつも必ず人生で答えが出せない時に道標になっていたから。
いつか立ち止まってしまったとしても、蝶や街灯や流れ星のように、あなたを未来に導くものになってほしい。好きなものを人に教えるというのは、そんな願いなのかもしれない。

「どうしても苦しい、今の状況はおかしい」と気づくこと自体が救いのきっかけにならないだろうか。
というテーマから始まったのが「君の心に火がついて」です。

あとがきの一文目、物語と同じかそれ以上に衝撃的な一言だった。あとがきにこんなにも寄り添われる事があるなんて知らなかった。全編通して分かる所も分からない所もあって、今より大人になったら必ず読み返そうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?