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波が来たら、乗る


お久しぶりです。
noteをほったらかしにしてどれぐらいが過ぎただろう・・・

私をnoteでフォローしているリアルな友達は本当に少ないと思うし(いたら挙手してくれ頼む)これからは他のSNSでは書かないことをここでつらつらと書きたいと思う。



この1年で、本当に、本当に、いろんなことがあった。

楽しいことやワクワクしたこと、悔しいことや悲しいこと、
今まで味わったことのないような感情もアラサーにして初めて味わったりした。果たしてどうしたものか・・・と困りはてたことも何度かあった。

しかし総じて、とても「刺激」のある1年だった。 

「ピンチをチャンスに」「チャンスは掴むもの」という言葉があるが、今年私には大きなチャンスが3回来た。チャンス、というよりは「波」に近い気がする。

その波が来て、私は直感的にその波に乗った。
どの波も結果いい波で、時々溺れかけたりもしたがなんとかまだ沖で息ができているって感じ。笑
noteではその時のことを少しだけ話そうと思う。
(サーフィンはしたことがないし泳げないです。ごめんなさい)


1.転職


自己紹介noteでも書いたが、私は18歳から10年間ホテル業界にいた。
今振り返ると、人が好きだったら誰でもできるお仕事なのかもしれない。大した資格もいらないし。

でもそれを国内外で10年間続けられたことは、自分の人生を語る上で欠かせないキーポイントになった。支えてくれていた仲間たちやお客様、そして一番応援してくれた家族に感謝してもしきれない。

私は自他共に認める「People Person」だと思う。
人と話すのがとても好きで、誰かの笑顔を生きがいにこれまで生きてきた。

お客様のお名前とお顔を覚え、期待されること(理想はそれ以上の)を事前に把握しそれをスマートに提供する ー ホテルというフィールドは私にとってはぴったりな場所で、宿泊部門に長くいた私だが料飲・客室部門のスタッフのみなさんとチームで動けることも大好きなポイントの一つであった。

しかし、ホテルのお仕事は夜勤続きで体内時計が狂いまくり、とうとうメニエール病(自立神経の病気でめまいや吐き気の症状が起きる)の疑いが出てきた。

夜勤明けはビールを飲まなければ寝れないという変な習慣がつき、睡眠不足と底が見えない食欲に悩まされた。夜勤明けのスシローで4000円分食べたこともあった。笑

大好きな業界でこれからも働きたいという気持ちと、自分の体調を考えて日中働ける業種に切り替えたいという気持ちの狭間で何ヶ月か揺らいだ。

このままではいけない!と思い最終的に後者を選んだ私は、後ろ髪引かれる思いで転職サイトに履歴書を登録。

結果、今の会社の人事の方からメッセージが来て採用していただけることになった。

今勤務しているのは外資系ブランドで、はじめに雇っていただいたポジションはアシスタントのポジションだった。ホテルの経験を活かすことができるし何より朝起きて夜寝る生活ができる。最高だ。

異業種に挑戦したことで苦労もあったが、新しいことに挑戦することは毎日新鮮だったしチームの皆さんは新参者の私を可愛がってくれて、転職してよかったと心から思う。

いちばん大きな変化はやはり体調の変化である。
5年間通い続けていた皮膚科に通わなくなった。
朝日がぼる時間に起きて、日が暮れたら休む、という人間らしい生活になったことで手荒れが治った。とっても嬉しかった。

自分の体調の変化に目をつぶってあのままホテル業界でキャリアを積んでいたとしたら、私はどうなっていただろうと思う。
体は資本、という言葉があるがあの時自分の気持ちに従って変化の波に乗って本当によかったと思う。



2.異動



入社半年でマネージャーに呼ばれた。
「産休に入るスタッフの代わりにオフィスで働いて欲しい。」

2つ目の波は「異動」 人生で初めてのデスクワーク、土日休み、9時から5時までのお仕事。

海外に本社がありコミュニケーションは全て英語、もちろん大好きな接客は半年ほどお預け。不安もあったが、断る理由は一つもないと思った。

自分のパフォーマンスを陰ながら評価してくれていた上司にも感謝の気持ちでいっぱいだったし、この半年でコンフォートゾーンから抜け出して成長してやる!と覚悟したからだ。

しかしこの波がいちばん高かった。
想像以上に大変なポジションであった。

英語をもっと話したい、という一心で上京してきたので本望といったところなのだが、これまで自分が話してきた接客英語とはかけ離れた俗にいうビジネス英語が必要になってきた。早速壁にぶち当たった。自分の覚悟なんてものは、へにょんへにょんだったんだと思った。

業務面でも立ちはだかる壁は次から次に現れ、仕事に追われる日々・・・
最初の頃は前任の先輩のパフォーマンスや、「こうあるべき」という自分の理想像と比べてしまって毎日メソメソしていた。責任に押しつぶされそうになり、銀座駅でサンボマスター聴きながら泣きながら帰っているところ、ばったり同僚に会ったりもした。(ダサすぎだろ・・・)

でもきちんと血が通った仕事をしたいと思った。

私にしかできない仕事があるはずだ・・・!と何度も歯を食いしばった。

具体的な業務内容はここでは書けないけど、
この半年は自分の苦手なことをただただやり続けたと思う。

しかし私は非常に運がいい。
あの時波に乗らなければ、ヨーロッパ出張に出向き海外の同じポジションの人と意見交換する、なんてことはなかっただろう。

英語が話せなくておじけづいていた、19歳の高卒英語コンプレッス女だった私に教えてあげたい。
29歳の私は毎日英語を使って世界中のスタッフやお客様とコミュニケーションをとって、今でもこんなにも学ぶチャンスを与えてもらっているんだよ。


引き継ぎを終えて、来月からまた接客に戻る。
水を得た魚のように働くつもりだが、半年前の私よりもはるかに成長した魚になっていると思う。あの時「Yes!」と返事をして波に乗った自分に感謝である。いつまでも初心を忘れず貪欲に成長の波に乗り続けたい。



3.友達卒業



17歳のときにはじめて会ってから、大事なタイミングでいつも会っていた男友達がいる。

今年のはじめに会ったとき、今しかないと思った。
気がついたら私から告白していた。



正直に言うと、上京してから国籍問わずいろ〜んな人とデートした。マッチングアプリをインストールしては辞めての繰り返し 笑 (きっとこういう女子たくさんいると思う)
楽しい時間を一緒に過ごした人もいたし、新しい音楽や価値感を教えてくれた人もいたのでマッチングアプリをやったことに後悔は全くない。
だけど自分が好きになった人には期待しては裏切られ、私恋愛下手すぎないか?とずっと思っていたし、友達にも「チョットアナタ男運ナサスギルヨ!」といつも慰めてもらっていた。


しかし気づいてしまった。

こんなにも誠実で行動で示してくれる人はこの人しかいないんじゃないか??

しかも会うたびにいい男になっている!
(頼むからこのnote見ないでいてくれ!!!!)

お互いを信頼しているのはわかっていたのだけど、彼は私を異性としてみていないんじゃないか問題があったんだけど、それは私の思い込みだったようで、、、


この年になって遠距離恋愛をするとは思わなかったけど、多分私たちなら大丈夫でしょ、という謎の確信で12年の友達が恋人に変わった。

久しぶりすぎる彼氏という存在にどうしたらいいのかもわからないし、ちょっとまだ恥ずかしいところはある。笑

お互いのことはよく知っているし(そのつもり・・・)、知らない部分を見つけると嬉しくなる。

抵抗なく将来のことを話せるのも今までにない感じでとてもいい。
ちょっと話したいなーって思ってたら突然電話が来るのもらしくていい。

彼を一言で言えば、「お酒が飲めない根っからの九州男児」
周りからはやっと!?というリアクションばかりもらうけど、この御縁をこれまで通り大切にしていきたい。

まとめ

波が来て乗ってみたら、ドキドキしたし色々大変だったけど最終的によかった。
波に乗り続けるには多少なりとも心の余裕が必要だし定期的な棚卸しと断捨離も必要。


気づけば20代も残り2週間。
先輩方によると、30代はどうやら楽しいことばかりらしい。どんな苦境でもしたたかに、優しさと強さを併せ持った女性になりたいものです。


追伸 : 電話で遠回しに「デブは抱けねぇ」と言われたのでダイエットの火がついた!←イマココ
次会うまでに少しでもいい女になりたい!なる!

※私が思う「いい女」像

ライブ時の椎名林檎







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