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1人でいるということ:あなたの神殿とその訪問者について

1人でいるということを楽しみなさい。


それは孤独であることとは全く別のことです。


1人でいるということは

あなたの心の中にある神聖な神殿を

そこに湧き出る泉を 花の咲く庭園を

常に清らかな状態に保っているということです。


あなたの神殿には、ありとあらゆる人々がやってくるでしょう。

時に彼らは 美味しい手土産を持って

豊かな時間と共にやって来ることもあれば

時に神棚のお供え物を勝手に食べ

そこら中を散らかして帰っていくこともある。

庭園の花を勝手に摘んで帰る人もいるかもしれません。


しかしあなたは、そんな無礼な訪問者たちを

いちいち憎む必要などありません。

人間というのは実に千差万別であり

それこそが人間の豊かさと言えるのですから。


しかし、それとこれとは別の話。

もし誰かがあなたの神聖な神殿を汚したとしたら

エデンの花園を傷つけたとしたら

それを丁寧に

元の清らかな状態に戻し、整えてあげられるのは

誰でもない、あなたなのです。

他の誰にも、その仕事はできないのです。


散らかった空間を片付け

炊き立てのご飯を神棚にお供えし

足りないものを買いそろえ

庭の花に水をやり 整えて剪定してあげる

それはあなたにしかできない神聖な仕事であり

それが1人でいるということ、

1人の時間を楽しむということなのです。


その過程で、あなたは気づくことでしょう。

いつのまにか、ソファーのカバーがボロボロになって

もう使い物にならなくなっていたということや、

知らぬ間に、庭に新しい花が芽を出していたというようなことに。

古いカバーを新しいものに買い替え、

新しい生命の誕生を愛でる。

あなたの人生におけるそんな新たな変化は、

あなたの神殿を乱した“無礼な訪問者”がいなければ起こり得なかった

ということを忘れてはいけません。


そのことに気づけば

たとえどんな人が神殿にやってきても

あなたは、温かい気持ちで彼らを迎え入れることができるでしょう。

全ての訪問者は、あなたに贈り物を持ってくるためにやって来たのだと分かるからです。


目に見える分かりやすい甘いお菓子のようであろうと

あなたを混乱に陥れる竜巻のような姿でやってこようと

それは贈り物であることに変わりはない。

重要なのは、それに気づけるかどうかです。

そしてそのためには、

日ごろからあなたの神殿の隅々に気を配り、

その姿をちゃんと知っているということが必要なのです。


だからあなたはいつも、

あなたの神殿を整えておきなさい。

1人の時間を大切にしなさい。

そしてあらゆる訪問者と、

彼らが持ってくる様々な贈り物を

感謝と共に受け取るのです。

Kana



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