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オカルトとコンプラは共生できるのか ~呪いの木札から考える怪談とリアリズム

怪談師は興行師でありプロレスラーである、とただのオカルトファンとして感じているところがあります。

YouTuberは活動そのものにそういう面があるし、あの、長老や範士のような風体をしたキャリアの長い研究家の方なんかを見聞きしていると、よりプロレス興行師のように感じることがあります。
そのプロだからこそ、ファンとしては、死闘を繰り広げて欲しいと思う反面、事故や不注意で重傷や後遺症を負って欲しくないとも思うのです。本人を思う気持ちもありますが、この娯楽を純粋に楽しみたいが故に、心の片隅で願っていることでもあります。

「呪いの木札」騒動は、関わる当事者の説明や謝罪が済んでいるので、2週間も経って今更ド素人が追及したりはしません。ただ、今回の不注意の再発の防止には努めて欲しいと思うわけです。

オカルトの魅力はリアリティとのバランスだと私は感じています。なので心霊検証、心霊スポット、実話怪談の分野が特に好きです。「怪談と現実は、もしかすると地続きかもしれない」と、トワイライトゾーンに落ちる感覚がたまりません。"呪物"については「いい塩梅の話法を見つけてきたな」と。実物の品によりリアリティを高め、持ち運びもでき、展示物にもなるという、説得力と汎用性の高さを兼ね備えた取り回しの良い話法だなと。

今回の騒動は、その呪物のリアルを把握検証し切らず、怪談として語ってしまったことに原因があると、当事者から説明がありました。怪談では、リアリティと魔のあいだのスレスレのところを漂う危うさを楽しみたいので、事実側のリサーチは欠かさないでほしいし、事実側を過度に歪曲したり、事実側を踏みにじったりはしないでほしいのですが、今回はそれが起こってしまった格好ではないかと思います。

今回の騒動から、今の時代に合わせ、いわゆるコンプラのような倫理的な規制を理解し、遵守するための意識を高める要請が、このオカルト・怪談界隈にも持ち込まれるのではないかと思います。当然のことではありますが、これまでの面白さを維持しながらご対応いただけるのか、怪談が面白くなくなってしまうのではないか、ファンとしても危機感があります。とは言え、誤情報の拡散を防ぐために、制作者は信頼性の高い情報を提供し、疑わしい情報を排除するよう心がけることが求められるでしょう。倫理観を意識しつつ、創造的な自由も維持しながら、エンターテインメントを提供するスタイルをも持ち合わせなければならなくなりそうですね。裏側の苦労も鑑みず言わせていただくと、話者が生で感じ取り、検証と熟考を重ねた怪談こそ聞きたい、とファンは願うばかりです。

話は大枠に戻りますが、最近は怪談や怖い話が多すぎます(YouTubeのせいとは言え)マイナージャンルなのに、ニュース番組ぐらい毎日毎日ネタが挙がってくることに違和感しかないです。そんなに怪談が起きているなら、地方紙の紙面に2週に一回ぐらい「怪談か?」と思えるようなニュースが出なければおかしい気がします。(数字はあくまで体感からの想像です)要は、それだけ多くの怪談を生み出さなければ、界隈で怪談を生業にして生きていくことが難しいのでしょう。ですが、ある種の粗製乱造の中で注意散漫となり、アウトプットに不備が出てしまう事象は別の業界でも起こっている事なので、怪談業界もまず怪談発表の量から疑ってみた方がいいのではないかと思ったりします。収益上、達成しなければならないラインがあるんだと思いますが、怪談の特性を度外視してYouTubeのビジネスモデルに当て嵌めすぎているとも言える気がしてます。また、この際ですので、誰か怪談師の裏事情を語ってもいいんじゃないかと思います。(個人・派閥の人間関係や軋轢ではなく、怪談師の生活の話です、念のため)

最後に、今回ので都市ボーイズさんと半ば敵対関係としてオカルトファンから見立てられていた怪談ユニット「怪談恐不知」の毛利嵩志氏がXで発信されていた内容を添えます。ユニットさんのスタンスは置いておいて、オカルトを楽しむファンのひとりとしても、大事にしたい点だと思ったための引用です。



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