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女の子が女の子を「好き」といえる時代について考える。(2000年代後半の女子高生文化をもとに)

2010年代からAKB48を筆頭に巻き起こった「アイドル戦国時代」以降、「女の子が可愛い女の子のことを好き」といえるのは一般化した。
つい先日取材で知り合った女子高生も乃木坂46の写真集を買っていたし、別の女子高生も「TikTokを見るのは可愛い女の子を見るため」と言っていた。
SNSの中には有名無名問わずかわいい女の子があふれていて、そこに女の子が「かわいい!」といって広めるのも当たり前になった。

その状況を目撃するために心底うらやましいと思えるし、私の過ごした高校時代は一体なんだったのだろうとも思う。
私が高校時代を過ごした、2006年から2009年。
その時代に女子高生を過ごした私たちの時代は、「同世代のシンボル不在」だった。
その時代を私は「女子高生冬の時代」と呼ぶ。
 
「アイドル冬の時代」という言葉がある。
1980年代、おニャン子クラブなどの国民的アイドルが一世を風靡したのち、アイドルグループが全くの鳴かず飛ばずだった時代のことを指す。
「女子高生冬の時代」とはそこから取って、女子高生カルチャーが全く大衆に広まっていなかった時代のことを私が勝手に指して呼んでいる。
私が女子高生時代を過ごした、2006年から2008年は、女子高生のカリスマ不在であり、まさに「女子高生冬の時代」だった。

秋葉原カルチャーがメインストリームに食い込んでいた2000年代後半

女子高生にとってシンボリックな存在、というのはその時代の女子高生たちのカルチャーを牽引する。例えば少し前でいえば「藤田ニコル」であり「池田美優」であり「越智ゆらの」。もっと前、コギャル文化全盛期にもeggモデルたちがこぞって登場し、90年代のコギャル文化を形成していった。

90年代後期のコギャル文化から、2010年代のPopteenブームまで、「女子高生」がメディアに取り上げられ、メインストリームに入ることはなかなかなかった。
私の時代はまさにその間の女子高生で、その時代の世に出ている女子高生でシンボリックな人物といえば「涼宮ハルヒ」だった。

電車男がヒットした2004年からメイドカフェやアニメなどの秋葉原カルチャーが注目され、「オタク」を扱ったドラマやニュースもテレビで増えた。
当時マスメディアがアイドル文化を取り上げることは「オタク」の文脈のみだった。
2005年AKB48が秋葉原の劇場でデビューしたが、当時は大きな話題になることはなく、あくまでも「オタクの秋葉原カルチャーの中のアイドル(AKB48)」の文脈だった。


キャバクラ嬢が「女子高生なりたいものランキング」にランクインする時代

当時、高校生の中のメインストリームは、ケータイ小説「恋空」や、「小悪魔ageha」「加藤ミリヤ」「湘南乃風」など、ヤンキーカルチャーがメインストリームだった。

また、その頃の「女子高生が将来なりたいものランキング」の上位に「キャバクラ嬢」が入ったことで話題になった。小悪魔agehaや、現役ホストによるグループ・CLUB PRINCEが歌う「 LOVEドッきゅん 」のリリースが話題になり、女子高生にとっても「水商売っぽい」スタイリングやメイクが憧れられた。
鳥取県の私の高校では、小悪魔agehaを広げ、人気モデルのさくりな(桜井莉菜)に「かわいい〜!」の連呼が起き、休憩時間にはコテで名古屋巻きに髪を巻く。そんな時代だった。

「女子高生」に価値を見いだすのではなく、少し大人の、水商売でもなんでも「自立しているかっこいい女性」に憧れを抱く子が多いように感じた。
もしかして田舎にある実業系の私の高校だったからなのかもしれないが、テレビや雑誌を見ていても、いまのように「女子高生」や「制服」をシンボリックに扱ってその価値自体に当事者の女子高生たちが自覚的になるような時代ではなかったように思う。
それはイコールで、「シンボリックな同世代」の存在がいなかったからだ。

アイドルが好き、は「めちゃくちゃキモい!」趣味。

そんな当時の高校生の空気感の中で、「アイドルが好き」は公然の場で言える趣味ではなかった。
私は当時から可愛い女の子を見ることが好きで、AKB48やSKE48のデビューも追っていたし、ヤングマガジンの制コレ(当時は篠咲愛がグランプリ受賞)や、小倉優子や市川由衣の写真集を私が自宅に所持していることなど、もしバレようものなら「気持ち悪い」「オタク」と迫害に合うことは明白だった。
「AKB48」が好きだなんて言えば「きもすぎ!アキバ系じゃん!」の一言で喪に伏される。
その反応は男女ともに変わらず、男子がアイドルを好きなことも「めちゃくちゃきもい趣味」な時代なのであった。

反面、「涼宮ハルヒ」はまだ市名権を得ていた。
当時、オタクと言われながらも初音ミクや涼宮ハルヒといった二次元キャラクターはテレビで取り上げられるなどし、目に触れることが多かったので三次元の女の子よりも二次元の方がまだ、「理解できるオタクっぽい趣味」としてかろうじて受け入れられる時代だった。(人間の女の子が好きなんて、全く理解できない趣味だったのだ・もちろんそれでも「アキバ系だよね」という烙印は押される)

AKB48のブームによって「制服」や「女子高生」がシンボリックになる。

時は流れ、現在。SNSが当たり前になった2010年代の女子高生たちは、Twitterのプロフィールに、高校3年生を意味する「LJK(ラスト女子高生)」と書き(1年生なら「FJK(ファースト女子高生)」)、制服や体操服でプリクラを撮り、遊びに行く時は自分の指定ではない「なんちゃって制服」に着替える。

それは明らかに「自らの女子高生の価値に自覚的になっている」状態に他ならない。
私が女子高生を過ごした2000年代と比較し、明らかに女子高生をそうさせるシンボリックなものたちがメディアの中にあふれているからだろう。

(ちょっと逸れると、いまや当たり前のように女子高生を指す「JK」や女子中学生の「JC」は当時はアダルト用語で、公に女子高生といえないジャンル(盗撮やビデオ)などの世界によってのみ通用する隠語だった。
そんな言葉が気づいたら当事者たちが自らを紹介するために使う用語になったことに衝撃を受けた。あれは2011年ごろかな?)

平成で最もCDを売り上げた女性グループ・AKB48が徐々にメインストリームに登ってくると、女の子が女の子を「カワイイ!」といえる世界線が産まれた。2010年頃のことだ。
彼女たちは制服を模した衣装で「青春」を歌い、ヘビーローテーションでは下着姿で歌って見せた。女の子たちは目を輝かせてそれを見、自分たちもアイドルになりたい、とおびただしい数の地下アイドルが産まれた。

2011年にデビューした乃木坂46はAKB48のカウンターとして、丈の長い制服風の衣装で歌って踊り、その影響で女子高生の間でも「丈の長いスカート」と「足首の長さの靴下」で制服をアレンジするブームが起きた。

最近では、K-POP(TWICEやBLACK PINKなど)の影響で「丈の短いスカート」に「足首の長さの靴下」でK-POPアイドル風の制服アレンジも増えた。

2010年以降に起きたアイドルブームによって、女子高生たちは当たり前のように「女の子をカワイイ」と言える時代になったのだ。

「女子高生冬の時代」はまた訪れるのか?

私は自分が女子高生であるときも異常なまでに「女子高生」に価値を感じていたが、当時は女子高生自身がその価値を発揮することはなかったし、自覚的になることすらタブーだった。

(もっと遡ると、80年代に起きた松田聖子や山口百恵を筆頭とするアイドルブームのときは、女の子に憧れるは普通だっただろうし、90年代のコギャル時代も安室奈美恵がいたし、00年代のカリスマ不在感は一体何だったのだろうか。)

2010年代から起きたアイドルカルチャーは、「未成熟な可愛さ」を愛でるカルチャーだ。成長途中の未熟な女子が頑張るストーリーを応援するカルチャーだった。
徐々に、そのストーリーにも陰りが見え始めている。
完成したものを提供するK-POPの躍進が目立ち、グローバルでは女性の強さを圧倒的に支持する流れが産まれている。

時代は繰り返す。
またしばらくすると「女子高生冬の時代」は訪れるのだろうか?
女子高生が持っているものは「圧倒的な若さ」。
その若さを価値として持ち上げることで「女子高生ブーム」が産まれた90年代。
キャバクラ嬢に憧れ、自らの価値をタブー視した00年代。
女子高生自身が「女子高生である」ことに価値を見出した現代。
この先どんな形で「女子高生」は進化を遂げるのか、私は見守り続ける。



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