社会との関わりはいろいろあって(ル・プチメック コラム)
この記事は2019年2月1日にル・プチメック コラムに寄稿した記事の全文転載です。
僕の制作チームには小さな子供がいるママさんがいる。対外的には表立って伝えてはいないけれど、お子さんや家庭を優先することもあって納期設定は曖昧に余裕を持たせており、即日対応することもあれば数日掛かることもあるゆる〜いスタイルだ。リモートワークの環境としても機能しているので、仕事の時間をうまく調整されているのだろう。
そんな話を先日出会った女性(デザイナー)としていると、「母である前に人として社会と関わる機会があるのは良いことだよ」って話された。最近は主夫としても家庭を切り盛りする人もいるかと思うので男女の話でもないし、子供が大きくなってから社会に復帰するケースも耳にする。
家庭にしても会社にしても自分の立場(場所)を複数持つことは、何処かに依存するリスクを回避できるだけでなく、自己を保つための環境としても機能しているだろうし、自然なことのように思える。
コラムの初回で自己紹介がてら少し綴ったりしていたんだけれど、京都のとあるパン屋のオーナーからも、僕が「何をやっているのかよくわからない」という話をされることがあって、今でも何者か何屋であるのかうまく説明できずにいる。
その要因としてひとつ思い当たることがあって、僕が生まれてすぐだろうか、自宅の一部を改装して母が小売店を始めたらしく、店舗の一つ前の部屋はかつては応接間であったのだけれど、事務机や商品ストックが置かれていたような光景がうっすら記憶にある。
それから数年が経ち小学生の高学年だったろうか、製材所で働いていた父親も退職をして自宅の隣で飲食店を始めた。精肉店で肉を大量に買ってきて自家製タレを作って焼肉レストランを始めた。その頃、週に何度かは晩御飯が焼肉になって、レバニラ炒めと白ごはんとわかめスープが定番であった気がする。カルビやロースは月に一度も食べていなかったんじゃないだろうか。
生活のために休むこと無く毎日働くというのは特に気に留めることなく僕にとっての家族の姿だった。仕事だけに生きてるんじゃないけれど、母と父の姿を見ていると自営業という職種には「休日」や「定年」という意識はなく、死ぬまで現役というか生き甲斐みたいなものか、仕事と私生活は区別するようなことでもなく、ただシンプルに「生き方」なんだろう。(詳しくはこちら)
ちょうど、この年末にお手伝いした仕事でもクライアントはスペインレストランを運営され一度は店を畳まれたんだけれど、70歳になってからワインバー「Bar mio 2°」を再開されたばかり。先日、エビのアヒージョをいただいた時に合わせて出てきたバケットは同じ通りにあるパン屋さん(Flip up!)だと聞いた。ワンオペレーションでお店を切り盛りされていることから、会計管理をお客様が行うというスタイル(キャッシュオンじゃない)はオーナーのお人柄を表しており、飲みすぎるとチェック漏れそうなので、ほどほどにしておかないといけない♪
(冒頭写真は近所にある双ヶ丘に群生しているシダが春に芽吹きだしたところ)
この記事は2019年2月1日にル・プチメック コラムに寄稿した記事の全文転載です。
そして、この記事の編集後記はこちら。
僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。