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三柱鳥居(みはしらとりい)、三つの石柱で組まれた全国でも稀有の鳥居。

前回「元糺の池」の概要でしたが、今回はその続きとなります。

今回で木嶋神社の主要な特徴をまとめ終えようかと思います。ちょっとしたご縁があり調べ始めましたが、特に「三柱鳥居」はパワースポットとしても知る人ぞ知る存在らしく、さまざまな見解があるようです。

木嶋神社の由緒書「三柱鳥居(みはしらとりい)」の箇所には、次のような内容が記されています。

全国唯一の鳥居である。上段神池にあり、鳥居を三つ組み合わせた形体である。中央の組石は本殿御祭神の神座であり、宇宙の中心を表わし、四方より拝することが出来るよう建立されている。創立年月は不詳であるが、現在の鳥居は亨保年間(約300年前)に修復されたものである。一説には、景教(キリスト教の一派ネストル教、約1300年前に日本に伝わる)の遺物ではないかと云われている。

木嶋神社境内の西側に神池として「元糺の池」があります。池としてはひと繋がりですが、瓢箪のように二つの膨らみがある形となっています。足つけ神事が行われているのは下流で、上流は竹格子で囲まれており、その中央に三つの石柱で組まれた鳥居があります。その鳥居に囲まれた中央の組石には御幣(ごへい)が立っており、本殿御祭神の神座とされています。

(→神座ということは神霊の依り代を指しているので、本殿との区分けはどうなのか? また機会があれば宮司さんに確認しておきます♪)

三つの柱で括られた空間を「宇宙の中心を表し」と記述されているが、木嶋神社の祭神は「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」であり、その存在は「宇宙」を指している神とされているので、解釈として間違っているようなことはないでしょうね♪

ただ、「景教(キリスト教の一派ネストル教、約1300年前に日本に伝わる)の遺物」と記載されていますが、同時期の史実から同じような云われがあれば知りたい。秦氏のルーツを振り返ると先述した内容ですが、あまりにも古い話ということもあって、神話なのか史実なのか曖昧な印象が正直なところです。

秦氏のルーツは、応神天皇(15代天皇:300年前後・古墳時代!)の時代、秦(しん)の始皇帝の子孫とされる弓月君(ゆづきのきみ)が多くの人民(18,670余人)を率いて渡来したとされている。

さらにネットを徘徊していると、「キリスト教の『三位一体』との関係」や、西アジア、イスラムにも結びつけてユダヤの系譜や、三柱鳥居を上からみれば『ダビデの星』の形状を模しているとか、広隆寺の西側にある井戸に「いさら井」という文字が刻んであるのを「イスラム」と読むとかちょっと飛躍し過ぎでしょうね。「いさら」は「いさら川」という使い方もあって、小さいという意味を持っているようで、「いさら井」は単に小さい井戸で良いかと思われる。ちなみに、秦氏の子孫に広隆寺の創立者である秦河勝という人物がいて、兵庫県赤穂市坂越にその秦河勝を祀っている大避神社があるのですが、その中には音が似ている「ヤスライ」という井戸もあるが、おそらく「いさら井」と同じではないだろうか。

余談として、葛飾北斎の『北斎漫画』に「三柱鳥居」も描かれていますが、中央の依り代である中央の組石はありません。また、東京の顕名霊社(三井家の先祖を祀る祖霊社)にも「三柱神社」があります。三井家は元々京都の呉服問屋だったことから、養蚕神社・木嶋神社を贔屓とするのは自然なことでしょうね。


伊勢神宮の「三ツ石」

伊勢神宮には、周囲に結界を張られた3個の石を積み重ねた「三ツ石」があり、式年遷宮の際、「川原大祓(かわらおおはらい)」として御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう:神の衣装や調度品など)や奉仕員を祓い清める儀式が執り行われています。木嶋神社の三柱鳥居の中央も石を積み上げらた形状をしており、同じように穢を祓う「足つけ神事/御手洗祭(みたらいまつり)」が行われているということから僕の妄想は膨らむばかりです♪

ちなみに毎年、木嶋神社の御神輿渡御にてご奉仕されている氏子らが、夏の「足つけ神事/御手洗祭(みたらいまつり)」に合わせて「元糺の池」の水を抜いて掃除をしています。機会が合えば僕も参加しているのですが「三柱鳥居」の近くを掃除する時はドキドキです。

<続き:大酒神社(大避神社)


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