Ⅰはじまり
疫病が蔓延し、黒い雲が世界を覆い尽くしたような重苦しい空気が
立ち込める中、某日夫は空港へ向かった。
傍から見るその一連の行動は、愚行・奇行に他ならない。
しかし心と頭にに重たい石を抱える彼には、
世の中に見えるものや聞こえるものなど届かない。
己の心の声こそがすべてなのだ。
なぜ、その愚行・奇行を止めなかったのかと批判する人間もいるだろう。
他人事ならおそらく自分だってそう言ってしまう。
そうとはいえ現実にはどんなに歯がゆく残念な気持ちになろうと
力が及ばないことがある。
大のオトナを24時間監視したり、縛り付けたり、鎮静剤で眠らせるなんて
できないのだ。
大のオトナとはいえ彼にはできないことだらけだ。
大きな波がやってくるたびに、
あるいは他人にはさざなみほどの小さな波にも飲まれそうになる彼は
そのたびに狂ったように助けを求めるのだ。
我を押し通す子供のように。
その姿を見れば彼の半生を知らなくとも、
どう生きてきたかは容易に想像できる。
今はただ、成り行きを見守ることが私にできることだ。
そしてこれがどう展開するのかも薄々気づいている。
だから見守るというよりはただ呆然と立ち尽くすという表現が
正しいのだろう。
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