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園子温の暴力

園子温監督を知っていますか。

異端の映画監督とも呼べる彼の作品はエロもグロもいとわない過激な作風と、俳優を追い込んで感情むき出しの演技をさせるのが特徴です。

画面越しなのに、こちらをつかんではなさない暴力的なエネルギーは、社会に生きる動物として抑えつけている、本能というものを解放させてくれます。

特に今は、人を傷つけない、傷つけられないようにとどんどん、社会に適応するための仮面は強固になって、欲望や野生味というのは、抑え込まれている状況になっているように思います。

僕が子供の頃に比べれば実際犯罪件数も減っている。もちろん、これはいいことですが、時折思うのは人間の暗い破壊衝動は一体どこに行ったんだろうということです。

ひとつはネットでしょう。誰もが意見を発信できるようになり、しかし、表立っての差別や暴言は取り締まられるようになった結果、正義を盾にしたネット上での炎上騒ぎが多く見られます。一度でも倫理に外れるようなことをした人を追い詰める人たちは喜々として、石を投げているように見えます。ひとつの暴力のはけ口なんでしょう。

しかし、この炎上騒ぎはさらなるコンプライアンスや倫理的潔癖を促すことになり、複雑な、いやらしさも暴力性も怠惰な側面も持っている人間がそのように正しい社会に適応するにはさらに難しくなる。悪い部分はさらに抑圧されていく。その先にあるのは、欲望を去勢されたマニュアル人間なのかもしれません。

園子温はその著書で、芸術のなかでは人を殺しても称賛されると述べています。暴力を芸術に生かせれば、人に認められるのです。

僕は、自分の暗いところも暴力性もなかったことにはしたくないし、できればうまい具合に表現したい。

今後はこのあたりを写真や動画を作るうえでのテーマにしたいと考えています。

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