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アンビバレンスに生きる価値とジレンマ。

3/14は、雪も降って、ホワイト・ホワイトデーでしたね。寒いのは苦手なわたしですが、雪だとウキウキしてしまうのが不思議です。でもやっぱり寒かった。。それに比べ、本日は快晴。早くコートを脱ぎ捨てたい気分です。

それでは、本日の考えてみるテーマを、さっそく。

本日のテーマ、「アンビバレンス」とは、両価性とも呼ばれ、精神医学では「相対立した感情の動きを体験すること」と定義されています。以下で詳しく説明しますが、例えば、「アンビバレント(両価的)な感情」とは、憎しみと愛情、憧れと侮蔑、のような相反する「感情」が同時に起こることをいい、それが苦しみの元になっていることがあります。この相対立するものの対象を、「感情」だけではなく、「思考」へと拡張してみるならば、わたしは非常にアンビバレンスを持ちながら生きている傾向がある、と自分では思っておりまして、最近よく考えていたことなのです。ですから、本日は、アンビバレンスに関する自分なりの考え、をまとめてみます。

その前に、復習です。

●ブロイラーのSchizophrenieという考え
 メンタルヘルスを勉強したことがある方ならば、誰しもご存知のことと思いますが、「アンビバレンス」と言えば、「統合失調症」ですよね。その病態について、スイスの精神科医ブロイラーが、「Schizo(引き裂かれた)phrenie(こころ)」とまず命名しました。そのブロイラーは、統合失調症の基本症状を4つにまとめました。
・連合弛緩:考えのまとまりがなくなり、つぎからつぎへと関連のないことが頭に思い浮かび、ついには支離滅裂になること
・感情鈍麻:その場にふさわしい深みのある感情の表現の失われること
・自閉:自分自身のからに閉じこもり、現実との関係を失うこと
・両価性:相対立した感情の動きを体験すること

日常的にも、アンビバレンスという言葉が使われますが、正確には上記のような立ち位置の言葉、概念というわけですね。

このように「病態」「症状」と言われた途端に、その特徴は、「なんだか悪いもの」ののように捉えられがちですが、果たしてそうでしょうか。自分にも該当するがゆえに自己擁護な感も否めませんが、「その良さ」に光を当ててみたいと思っております。

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●アンビバレントな感情、思考。その良さを考える。**
アンビバレントな思考とは、左右を見ながら、いつもバランスを探る思考、結果として、俯瞰の作業とも言えるのではないか。という仮説です。

何事にも、誰の発言にも、「ふむふむ」と傾聴する姿勢は、非常に重要なものだと思います。自分の視野を広げてくれるからです。それに、そういった話の意図や意味がいまは分からなくても、5年後になって腹落ちすることもあるので、「教えてもらえることというのは、大チャンス」でしかない。感謝しながら、穏やかに聴くのが良いのではないかと思っています。

ただし、同時に、「それは、本当か?」を自分に問う。ここが肝でして、鵜呑みししない姿勢も取るわけです。この「それは、本当か?」の視点があると、常に、反対側の意見にも触れることになり、自分なりの「右もみれる、左もみれる、ものさし」のようなものが形成されていきます。そうやって、親の言葉、先生と呼ばれし有識者の言葉、友人の言葉、ネットに書かれている言葉、を「それは、本当か?」と、冷静に丁寧に考察してから、自分の中に仕舞う。こうして俯瞰視は育まれるのではないでしょうか。

ただし、このプロセス。当然ながら、厄介な面がつきまといます。
ここからが1つ目のジレンマです。

このような思考をしている人には自明のことでしょうが、これは平均台の上を歩くような「エネルギーを使う作業」、つまり非常に疲れる作業となるのですよね。時間もかかるかもしれない。鵜呑みにする、即信じるというプロセスのほうが、当然早くて、楽な作業になる。そのため、日常において、わたしもこちらを選択したことも、することありますし、それでいいと思いたいことだってあります。

しかし、それでは「自分で考えること」、「自分なりのものさし」が築けず、自分の考えや生き方の、土台や軸が作っていけなくなるのではないか、とも思うのです。また、俯瞰視は疲れるだけでなく、「ちょっと冷めた気持ち」をも持たせることがあり、そこへの注意は必要かもしれません。メタ認知のデメリットだと思うのですが、当事者意識を失わせかねない。

そんな場面で、それら「落とし穴に注意して進んでいく」と、その先には、「自分なりの軸」が形成され、それを基に、実はスピードもかなりアップさせた状態で、自分が納得した道を、前に進むことができるのではないか、そう思うのです。
その途中で、「他者の意見にも耳を貸すことができる」なんて、なかなかいい状態なわけです。それこそ、セリグマンのwell-beingを満たせる生き方に通じるのではないかとさえ思います。

しかし、だが、しかし。

ここからがもう1つのジレンマ
お読みになっている方の中にも、いらっしゃるのではないでしょうか、「エネルギーを消費してやっと築いたこのバランスを、崩したくなる欲求」をお持ちの方が。

完璧と言えるほどに美しくワークしている状態になると、「あれ、つまらないな。」という気持ちが芽生えるという意味です。
こんなこころの囁きがあるなんて、人間というのは本当に厄介な生き物だと言わざるを得ないですよね。しかし、気づいてしまったら、「わくわく重視派」は壊したい欲求を抱えることになります。

その後、アクションを取るかどうかどうかは、環境要因・個人要因で変わってくるでしょうが、「わくわく重視派」が「次に進めない状態」はストレスを生みやすい。どちらが正解ということはないのだから、留まるか、リスクをとって次に進むか、という選択をすればいいのですが。

そして、これは、何も、均衡状態を完全に破壊したいという訳ではなく、「次なる世界を見てみたい」という前向きな表現のほうが似合っているように思います。
この完璧な状態を壊すこと自体も、アンビバレンス的思考の結果。そう、悪くないんじゃないか?

是非とも、そう思いたいです。

今週もあなたに笑顔がありますように。


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