見出し画像

生きる意味という重圧。-ひとつの命に想いを馳せて-

もうすぐ8月が終わろうとしている。
コロナとともに幕を開けた今年度は、春も、夏も、いつもと異なるリズムで過ぎていく。そして、この猛暑。
それに適応するだけでも、エネルギーを使う日々に違いない。

わたしは、あまり自分のことを語るのが得意ではないし、心療内科医としては、極力無色でありたい。

だからこそ、こうやって書くことに抵抗はあるのだが、、
8月は、どうも本調子ではなかった。
noteに何を書いたらいいのかも少し見失い、日々が過ぎていくばかり。

仕事は充実している、恐らく人の役に立っていることもある、収入もある、家族もいる、趣味もある。
しかし、虚無感に近いものが漂っていた。

その理由は、なんとなく分かっているのだ。
おそらく、それはこの2つ。
・周期的に襲ってくる「生きる意味は何か。」という厄介な問い。
・そして、7月に突然やってきた青年の自死 だ。

この2つは、鮮やかにリンクする。
だからこそ、重くのしかかって来たのかもしれない。

一つ目は、とにかく厄介な問いである。

わたしはもともと自分との対話を重んじるほうなので、
自分が大切にしている信条とか、価値観とか、
定期的に振り返るし、価値に根差した生き方か、自分に問う習慣がある。
親や周囲の愛情のおかげで、自尊心も自己効力感も一応ある。

でも、この問いだけは危うさがあるというか、、

「生きている意味が解からない。」
そんなフレーズが、ずっしりと居座って離れない。
何か答えを用意しようとしても、見つからない。

そして、結論としては、
「死ぬときに解ればいいか。」である。

わたしは、この結論を置くことで、この問いと距離感を取って、安心安全を築いているのだと思う。防御壁だ。

気は重い。しかし、いくら問うたところで、日々は続く。
であるならば、どうせなら、笑顔で、楽しく生きてみるか、と思ってみる。
この調子のいいpositivityは、神様がわたしに授けてくれたtalentかどうか。
しかし、気は重い。

そして、「ここを追求し過ぎるは危険なのでは?」
という思いがよぎる。

それが、あの青年の死とも繋がる点である。そう、二つ目の話だ。

あの死は、解せない。

それがずっとわたしの心に漂っていたことだ。
彼に何があったのか、どんな人なのか。
わたしは何も知らない。
情報不足だからこそ、アセスメントはできないのだ。

それにしてもだ、前途有望な青年がなぜ死を選ばなければならなかったのだろうか。
未来の展望を語り、前日まで仕事していた人が。

わたしは、自殺企図後の再企図予防のための面接に従事したことがある。
カンファレンスで担当以外の方々のエピソードにも触れる。

それらのすべてのケースは、
ある意味、すべて「解せる」。
それだけの状況ならそういうこともあるかもしれない…と。
自殺においては、「同意なき共感」というワードが有名だが、まさにそんな気持ちである。

もしも、これが、
企業内で起きていたら?
身内に起きていたら?

ぞっとするところである。

自分だったら気づけていただろうか。
周囲に何が出来たのだろう。

企業内であったらとしたら、
勤怠不良もない、かなりのハイパフォーマーだったはずだ。
輝かしいキャリアを築いている人物で、
周囲からの評判も上々。

ただし、長時間労働かつストレスチェックで該当になるといったところか。

でも、きっと彼は、作り笑いがうまい。

産業医にも気を遣い、
「大丈夫です、今後気をつけます。」
と爽やかな笑顔で、優等生な回答をする。

そんな相手に産業医としてできることは、
・相談先として機能すること。
・組織としての問題があれば介入すること。
・消えてしまいたいと思うことはないか?と問うこと。

優等生相手に、これら全てをできるか、少し自信がない。
でも、リスクを意識して、アクションできる自分でありたい。

まず、わたしが想いを馳せたのは、彼の心情はどんなであったか、だ。
きっと目標もあっただろう、誇りもあっただろう。

ただ、「生きる意味は何か。」
これを考えれば考えるほど、答えを見出せずに苦しんでいたかもしれない。
この問いは、重圧になり得る。

そして次に、わたしが想い馳せるのは、遺された人たち。
こんな他人のわたしでさえ、
解せない想い、やり切れない想いに囚われるのだ。
周囲の人々の心痛はどれほどだろう。

一人の死は、百人の悲しみを生む。
ということを学術的に勉強したことがある。

一人の死は、大きい。

今はただ、彼が、別の時空で、前よりも安楽に過ごしていてくれたらと、願う。
こんなときは、天国とか、極楽浄土とか、そんな場所が救いに思えます。

そう、こんなことを考えていた1ヶ月でした。

いきいきと生きていそうなわたしも、こんなときがあります。
そりゃそうですね、人間だもの、です。
こんな話が、彷徨える誰かの助けになるとしたら、幸いです。

最後まで読んでくださった方、
ありがとうございました。

あなたに、笑顔がありますように。
日々に感謝して。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?