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【ショートショート】手袋の中のユートピア【朗読用台本】

朗読用台本としてお使いいただける掌編小説です。

冬にお気に入りの手袋をして出かけるのってなんだかウキウキしませんか?
そんな気持ちを込めて書いたちょっぴり不思議なお話です。


本文

 冬になると楽しみなことがある。わたしの手袋はどこか別の世界に繋がっていて、なぜだかそれは真冬にならないと私の手を受け入れてはくれない。冬の始まりの冷たい風に体が震え始めると同時に、真冬の訪れへの期待から胸が踊る。私の、毎年の楽しみの一つだ。
 手袋は、右手も左手も同じ場所に繋がっているようで、両手を触れ合わせることができる。指先から数センチ先にあるものを掴んでみようとしたこともあったが上手くいかなかった。見えていないものをどうにかするのは、少しばかり難しかった。この場所では、私の手はどこからともなく現れて、ただそこにあるだけの受動的な存在であるしかないようだった。
 手袋の世界は不可思議で、微かなそよ風を感じるのに、水の中のような感触で、日差しのような暖かさを感じることもある。地球と同じように太陽があって、朝と夜を繰り返しているのかと妄想すると、どこか親近感が湧いてきて少しだけ嬉しくなる。
 ある日、ふと掌に何かが触れた。手袋の中の天気は晴れ。暖かな陽に掌を温めていた矢先の出来事だった。わたしの左手に触れたそれは、すぐにどこかへと行ってしまった。それきり何かが触れることはなかった。
 その年の冬も終わりに差し掛かろうかという日、わたしの手にたくさんの何かが触れた。自転車を漕いで、家路を走っている最中だった。思わずぴくりと指が動いて、ブレーキを掛ける。その動きに驚いたように、それらは散り散りに離れていった。今までにない体験に胸が高鳴った。私は近くの公園に立ち寄り、自転車を停めて、少しの間観察をしてみることにした。北風が頬に当たる。身体が微かに震える。もちろん、その震えは寒さの為だけではなかった。
 手袋をした手を、自転車に乗っていたときと同じ格好で膝に乗せ、じっと待っていると、再び何かが集まってきた。それはそろそろと動き回ったり、掌を、手の甲を、指を突ついて周ったりした。それはちょうど動物が見慣れないものの様子を伺う時のような素振りだった。害のないものだと感じたのか、たくさんのそれは、私の手の上で動かなくなった。小動物の体温のような温もり。ゆっくりと上下する動きと、それに合わせて手の甲に触れる小さな風に呼吸を感じる。耳を済ませると、時折、小鳥の囀(さえず)りのような音や、猫が喉を鳴らしているような音が聞こえた。その振動が、僅かに指にも伝わってくる。同時に伝わる鼓動のようなリズムが手の上で奏でられている。これはきっと生き物だ。そう確信した。この世界にも生物がいるんだという興奮と、わたしの手で眠るように居座る生き物への愛着。手と胸に暖かなものを感じながら、少しの間、目を瞑った。
 しばらくそのままでいると、満足したのかその生き物たちは疎(まば)らに去っていった。あまりにも動かないので手袋を外せず少し戸惑っていたところだった。日も落ちかけ、チカチカと街灯が点き始めていた。すっかり冷たくなった頬と鼻先を手で温めて、木枯らしが吹く公園に別れを告げる。未だ手に残る温もりを感じながら、ハンドルを握った。つい鼻歌混じりに自転車を漕いでいたら、近所のお爺さんがくすくす笑っていて、ちょっとだけ恥ずかしかった。



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