[小説]青と黒のチーズイーター 9章 本性 2話 キャプテン・リリエンタールの悪戯心
2話 キャプテン・リリエンタールの悪戯心
思いのほか時間がかかってしまった。
受診をおえたクドーは、夜半になっても慌ただしい空気のなかをロビーへと急いだ。
ひとまず異常なしの検査結果にほっとした。リウには呑気をみせていたが、胸中では不安があった。怪我や病気には強いほうでも、骨が鉄骨な相方とは違う一般人なのだから。
安心しても空腹感は増す。スタミナもとっくに切れていた。
一日中動き回って疲れたし、お腹が空きすぎてベージュ色の患者用スツールがパンケーキに見えるしで、早く帰りたい。柾木にもらったキルコリトースト半分が前菜になり、よけいに食欲を刺激されていた。
満席といった感がある正面ロビーに到着。リウを探して視線をめぐらせた。
「おらへんやん」
院内の混雑ぶりからして、リウの処置がまだおわらないのか、それとも人込みをきらって一時退避しているのか。
このまま待っていようかと思ったが、じっとしていると寝入ってしまいそうだった。
一度寝たら署にもどって報告書という、最後の任務をすっとばすこと間違いない。ロビーで宿泊してしまわないために、足を動かすことを選んだ。
まずは整形外科に行こうとしたところで、
「検査しに来たんでっしゃろ。どないでした?」
聞き覚えのあるイントネーションに呼び止められた。振り向いたクドーの目が点になる。
ブリーフィングで見たライトグレーのスーツに応えた。
「なんともなかったですけど……リリエンタール副署長がなんでこんなとこに?」
というか殴られたことまで、この警部はすでに耳に入れているのか。
「デスク仕事やってるうちに、書類で焚き火しとうなってきたんで、いったん離れよ思て。ちょうど、別の用事が入りましたし」
「赴任初日で十八時間勤務ですか? それともすでに二日目に入ってるとか?」
「あれこれついでにやってたら、いつの間にか」
軽い調子で笑うリリエンタールに、ワーカーホリックの一端が垣間見れた。
「本部からもってきた内通者の件が一気に片付きそうなんで、勢いがついてしまいました」
幹部になると、ふた通りしかないのかと思ってしまう。出世に取り憑かれ、実務適当で付き合いに夢中になっているか、仕事に没頭しすぎてオーバーワークの自覚もなくしているか。
現場からの情報をがっつり把握していそうなリリエンタールに、試しに訊いてみた。
「ダニエラ折場に関する報告で『サゲイト』に関すること、なかったですか?」
「気になることでも?」
いきなり出てきた固有名詞について訊いてこない。もしかしたらと考えていると、
「よう知ってる人に直接聞きに行きまひょか? ちょうど、ここにおりますよって」
やっぱり、とっかかりをつかんでいた。
「もちろん行きま——あ、リウどうしよ……」
ここでまた入れ違いになっても困る。
「リウ巡査なら話しに、ちょお外に出てはります。あとしばらくは戻ってけぇへん思いますえ」
「そうですか……じゃあ、待ってるあいだに」
リウにも会っていたのか。
同意したあとで、「話のために外に」というのが気になった。多くの人がくる場所だ。プライベートな誰かに偶然会ったのかもしれないが……。
ミッドナイトブルーの制服は、一見すると黒にも見える。そのせいで、病院で見ると縁起が悪いと思う人もいるらしい。
クドーとしては反発を覚える意見だが、廊下の先、ドアから付かず離れずの位置で立っている制服警官が目に入ると納得しそうになった。なるほど、昇天を待ち構えている死神に見えなくもない。
リリエンタールが向かう先は、その病室らしかった。
理想体重オーバーのふくよかな死神が、クドーに目をとめた。声をかけようとした笑顔を引っ込める。リリエンタール副署長に気づいて姿勢を正した。
「ご苦労さんどす。あと、そない厳しゅうせんでもええよって」
そう言われて、すぐできるものでもない。当惑気味の同僚に、クドーは小声で言った。
「言葉そのまま、とってええと思うで」
リリエンタールとはまだ一日の付き合いだが、名より実を取る人間にみえた。体面にこだわった松井田と対照的だが、ある意味では松井田より面倒で、怖い上司になるかもしれない。
リリエンタールが控えめなノックをした。引き戸を開けて対応した刑事に、二言三言話しかける。刑事が承知した。
「ドアの外にいますので」
外に出た刑事と入れ替わりに室内に入る。引き戸は開けたままにされた。
「え? よう知ってる人って……!」
ベットの柵に手錠でつながれて横たわっている人物に目を丸くした。
床頭台のサイドにひっかけられているのは、濃いダークグレイのミリタリーシャツ。汚れや埃ですっかり本来の色を失っている。アンダーシャツ一枚になった持ち主の額には大きな絆創膏、腕には点滴の針。
「サゲイト」のことをスガに訊くとは思わなかった。
本来は生真面目なのだ。副署長の来室に、上体を起こそうとしたスガだが、
「起きたら休んでる意味あらへん。そのままで、な。勝手に座らせてもらいます」
クドーが用意する前に、リリエンタールは自分でさっさとスツールをとってきて座った。
スガが戸惑った表情をみせる。
「あの、なぜそんなに離れるのですか?」
「この面会、クドー巡査が主役ですよって」
ベットの足元のほうに落ち着いたリリエンタールは、どうぞとばかりに手のひらで示す。
クドーは、譲ってもらったスペース——枕元近くにスツールをおいた。上司をさしおいて座るのは少々居心地わるい。
スガも落ち着かなげに目を伏せた。
「……今日は面倒をかけて悪かった」
「それより、怪我のほうはどうですか?」
「額を三針ほど縫っただけだ。ほかも大したことない。世話をかけた」
挨拶の応酬をするふたりに、
「クドー巡査から、お願いがあるそうですえ」
リリエンタール警部が本題へと導いた。スガの顔に緊張がはしる。
「やっぱり、あの役はイヤか……?」
「役……ああ、ご家族の連絡係のことやないです」
さっきから謝ってばかりな理由はそれが気になっていたのか?
「<モレリア・カルテル>に関わること訊きたいんですけど、ええですか?」
「なんでも答えるが、おれがやっていたのは松井田とモレリアとの連絡係が中心だ。役に立てるかは……」
「ダニエラ折場カルヴァーリョから『サゲイト』いう名前の警官が<モレリア・カルテル>に出入りしてたと聞きました。その名前、覚えがある気がするんやけど、思い出せなくて」
「ああ、そんなことか」
スガが肩の力を抜いた。
「そりゃ覚えがあるはずだ。『サゲイド』は、おれなんだから」
クドーはスガの顔を凝視する。
「……はい?」
リリエンタールがひとり、愉快そうにやりとりを眺めていた。
その様子に気づいたクドーが呆気にとられたのは数瞬で、すぐにしてやられた笑みを返した。
こういう警部(キャプテン)はキライじゃない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?