[小説]青と黒のチーズイーター 9章 本性 3話 オフィサー・リウの無報酬アルバイト

3話 オフィサー・リウの無報酬アルバイト

 たっぷり湿気を含んだ熱い風になぶられ、息苦しいほどの暑さだった日中から、やっと楽に呼吸ができるようになった深夜。車の出入りもない病院の駐車場には、人の気配もなかった。
 先ほどまでは。
 劉立誠リウ・リーチョンから離れて立っていたツァイが、スーツの内側から小さくまとめたロープを出した。
 知らない者が見れば用途不明の代物は、三メートルほどのロープの先端に、金属製のすい(おもり)をつけた流星錘りゅうすいせい
 事が始まるまえに退散するつもりでいたリウだが、思い直した。
「実戦で使つこてるとこ、見てみたい言うとったやろ」
 興味をひかせての引き留め策をされる。暗器を取り出した部下をナチュラルな背景にして、立誠が話を続けた。
「サゲイトは松井田より生きた情報をもっとるし現場での裁量もきく。モレリアは、それなりの代価で付き合うつもりでおったかもしれんが、サゲイトに悪徳警官は無理やったかもな」
「理由は?」
 リウもさりげない会話を続けながら、手伝える位置をとった。
「バッチかざしてタダ飯食うていきよる警官はいくらでもおったし、メリットがあると判断したら、店のほうからタダ飯出すこともある」
 立誠が誘うように植え込みからの距離を縮める。
「サゲイトをちょおちょっと探ってみたけど、悪い話はとんと全然聞かんかった。そいつが金を欲しがる事情はしらんが、松井田の後釜におさまったところで、罪悪感で自滅したかもな」
 唐突に、立誠の足が小さくサイドに動いた。ラムネ瓶のボディを握り、バックハンドの要領で無造作に振る。
 植え込みの影から飛び出してきた人間の顔に、瓶のボトムがジャストミートした。
 割れにくい縦方向で、瓶底をもろに受けた男が、鼻を両手で押さえてうずくまる。
 男が落としたナイフを蹴り飛ばしながら、
「おまえらの気配、ダダ漏れなんや。雑な殺し方ばっかりしとるからやろ」
 立誠の台詞が合図になった。植え込みや車の陰から、さらに三人が躍り出てきた。
 流星錘をあやつる蔡が、いちばんの脅威から排除にかかる。
 ロープも錘も黒く染めてある。視覚でとらえにくく、音も出さない流星錘が、文字通りの暗器となって対象を襲う。ハンドガンを持った男の右手を鋳鉄の錘が打ち抜いた。
 腕ではなく、身体でロープを巻いて素早く引き戻すと、錘の軌道を刹那で変えて弾き出す。
 男が左手でハンドガンを拾う前に、その足首に錘が巻きついた。ロープが引かれる。手のガードも間に合わず、男の顔面がアスファルトで強打された。
 蔡は一弾子で間合いを詰めた。
 男が身体をおこす暇など与えない。蹴り下げを落とした。
「こいつら、モレリアの連中や。うっかりやり過ぎても心配いらん。うちは〝清掃〟スタッフも優秀なんは知っとるやろ?」
 立誠が言ったのは、リウにむけて。
 たちの悪いジョークだ。警官の身で「やり過ぎ」など出来るはずがない。リウの無言を答えとして受けとった立誠の笑い声を聞いた。
 そのあいだに、ナイフを構えたツーブロック男が、馬鹿正直なほど真っすぐ突っ込んできた。
 リウは、ナイフから半歩、斜め前にずれる。
 ブレードの軌道を外して、足払い。
 そのまま足を振り上げ、前のめりにバランスを崩した後頭部にかかとを落とした。
 長身からの大きな落差で、鋭く落ちてきたパワーが、ツーブロック男をアスファルトと激突させる。
 後頭部から顔、二連続で衝撃をうけ、そのまま静かになった。加減したから気を失っただけのはず。
 残るひとり、がっちりした身体つきの女が、トレンチナイフを立誠に突き出した。
 立誠はほとんど動かなかった。リウも放置に等しいスタンスでいる。蔡が見逃すはずないからだ。
 トレンチナイフが立誠に届くより早く、空を切った鋳鉄が女の腎臓を打った。それでも顔をしかめただけで攻撃意欲はなくさない。
 その気力に立誠が応えた。
 瞬時で間合いをなくし、自分より長身の女の人中じんちゅう(鼻と口の間)に頭突きを入れた。
 うつむいて、たたらを踏んだところに、蔡が第二撃を加える。ロープを身体に巻きつけて引き戻した錘を足裏で蹴る。
「ハイ!」
 蔡の呼びかけに反射的に女が顔をあげた。
 真っすぐ走る鋳鉄が、今度は女の顎を射抜く。そのまま動かなくなった。
 鈍い殴打の音がするぐらいだった駐車場に、低いエンジン音が割り込んでくる。争闘の場の近くで急停車した。
 ラムネ瓶を打ちつけられて、うめいていた男が、血で汚れた顔に喜色をうかべて車を見上げた。一転、その表情が強ばる。
 停まったワンボックス車から降りた四人は、見知らぬアジア系の人間ばかりだった。
 その様子を立誠が冷たく見下ろす。
「仲間やのうて残念か? 相手の戦力を正確にはかれんかったボスを恨めや」
 そうして、助手席から降りてきた黒髪短髪の男に訊いた。
「こいつらのバックアップ、どんくらい残った?」
「……すいません」
「しゃあないなあ。こっちは全部生きとるから、ええとしょうか。全部運んだら待っといてくれ。すぐに行く」
 リウは納得する。蔡が肉を刺すひょう(棒手裏剣状の刃物)をつけた縄鏢じょうひょうではなく流星錘を使ったのは、あとの清掃を簡単にするためだけではなかった。錘を軽量にして威力を落とせば、致命傷になることはない。
 短髪が報告している間に、別のメンバーが倒れていた人間や証拠物といったものを車中に運び入れていた。争った痕跡を消す。
 ワンボックスが去ったあとには、何もなかったかのような静けさが戻った。
 流星錘をまとめてジャケットの内側にもどした蔡が、再び立誠のそばから下がる。薄闇に埋没した。
「私を連れてきたのは襲撃に備えてですか。蔡さんがいれば、私は不要だったと思いますが」
 リウは平素の表情で訊いた。いまさら呆れるということはなかった。
「低レベルの衝突は前からあった。そこに息子をふたりとも逮捕させるよう仕組んだんや。モレリアの親玉やったら、激昂して突撃させてきよる。こちらとしては、潰すための情報とる好機になるから、確実に生け捕りたかった。警官になったおまえやったら殺さへんからな。
 バイト料はちゃんと払うで? 雇用主は<ミナミ飲食業福利厚生会>で、仕事は警備」
「…………」
 立誠はボケて言ったのではなかった。
 市警では、警官の副業が認められている。信用ある劉会長の元でとなれば、内実を突かれることもない。が、
「ボランティアとしておきます」
 金を受け取ったら、距離感がおかしくなりそうだった。
「いやほんま、巡査オフィサーよりウチの役員オフィサー候補に——」
「しかし、幹部クラスでないと、相応の情報がとれないのでは?」
 リウは話を戻した。
「手下は生き餌みたいなもんや。これで主菜をつくれるレベルのやつを獲る」
 連れて行かれた連中は、逮捕されるほうを渇望することになる。
「承知でこの世界にはいって暴れとるんや。何されても文句は言えんやろ。それより今回の件——」包帯が巻かれている右手親指をさした。
「そこまで風蓮フォンリィェンにやらしてしもた。別の機会に埋め合わせするわ」
 劉立誠が不動のボスであり続ける一面だった。
 力をもっていても、傍若無人になることがない。上下関係をはっきりさせつつも、組織の下層だからと、その者の矜持を軽んじたりはしなかった。
 ただし、危険な仕事であっても、簡単に高い報酬を与えたりはしない。
 金によらない忠実さの試金石にするシビアがある一方で、立誠も儲けを自分の懐にしまい込んだりはしなかった。立誠の私生活は質素で、小さな企業の事業主といったレベルでしかない。
 暴利がとれても、薬物や人身売買といったことを厭悪しているせいもあるが、少なくない額を<ミナミ飲食業福利厚生会>関連の運営費に使っているらしかった。
 厚生会の「飲食業」は、配管業者やリース業者といった、飲食店舗に関わっているものまで含んでいる。結果、任意の加入者は幅広い。そうして地盤になるミナミに広く金をまわす——。
 この姿勢を受け入れる地元民は多く、国の制度とは別の第二の支援策——互助制度として機能させていた。
 これが<唐和幇タンフォバン>が水面下で、息の長い活動を続ける基盤にもなっている。


 立誠には、まだこれから仕事がある。
 時間を見たリウは、いとまを告げて病棟のほうに引き返そうとした。
「クドーさんな、退屈はしてないと思うで」
 足をとめさせられる台詞だった。
「リリエンタールさんが相手してる。クドーさんも訊きたいことがあるやろからな。ちょっとお膳立てしといた」
 それも巻き込んだ詫びなのかもしれないが、副署長を加えるとは。
 リリエンタールが病院まで来るのを知っていたのか、あるいは、立誠に呼ばれたリリエンタールが応えたのか。どちらにしても、すでに浅い付き合いではない気がする。
<モレリア・カルテル>を一掃する機会にしたい、唐和幇幇主タンフォバンバンジュ、劉立誠。
 警官を取り込んだカルテルを潰したい、リリエンタール警部。
 リリエンタールは立誠を間接的にサポートした——とまでは判断しかねた。リリエンタールという人間をまだ知らなさすぎる。
 それにしても、曲者同士がタッグを組むのか……。
 リウの期待と心騒ぎを感じとったらしい立誠が、口元だけを意味ありげな笑みの形にした。


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