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[連載小説]アイス・スチール;チョコミント 終章(後) 甘い計画

(後) 甘い計画

 おごると言ったのに、グウィンは欲がなかった。
「ルンピア(フィリピン風野菜春巻き)とシオパオ(ゆで卵餡の蒸饅頭)が食べたい」
 お手軽価格な大衆メニューのリクエストに、アイスはいちおう訊いてみる。
「言ってくれたらフレンチでも懐石でも案内するよ?」
「十六時の予約は地階診療所なの。美園から移動しないほうが楽でいい。それに慣れない高級品より気楽に食べられることが、あたしにとってのご馳走」
「たまには気分を変えるのもありかと思ったんだけど、やっぱりそっちがいっか」
 グウィンは皿の上での〝細かな作業〟がむずかしい。手でつまんでもいいものや、一皿料理を好んでいた。そこはアイスも同じで、住む場所同様シンプルがいちばん。
 こうして好みが一致する者同士のランチは、<美園マンション>のイートフロアというおなじみの場所になった。
 グウィンとの食事は雑然としたフロアでも楽しい。ただ、大事な話をするには賑やかすぎる。食事中は雑談に終始し、終わる頃合いで都合を訊ねた。
「グウィンの時間、もう少しもらっても?」
「話したいことあるって言ってたもんね。静かなとこに移ろっか。屋上……は遠いし暑いから〝中庭〟でどう?」
「中庭の日影でも暑いと思うけど」
 フロアのクーラーに未練を残しつつ裏口にむかった。


 建て増しを重ねてコの字になった<美園マンション>と隣接するビルの外壁によってできた、中庭のような空間に足を踏み出す。外に出た途端、湿気をたっぷり含んだむっとした空気につつまれた。
 中庭の片隅には、使い古された椅子やビールケースがいくつか並んでいる。
 地階診療所の利用者がごくまれに通るぐらいなのをいいことに、美園で働くスタッフが設置した休憩スペースだ。日中の暑さのなかで利用している者はいなかった。
 アイスは椅子のひとつを拝借して、グウィンを座らせた。それから、なんとはなしにコンクリートを額縁にした空を見上げる。
 のんびりした気分で明るい空を眺めるなんて、これまでなかった気がした。
 徹夜明けの疲れで空など気にもならないか、夜間の仕事にそなえて寝ているか。空を見るなんて、天気を読むときぐらいだった。。
「座らないの? 立ったままで左足は平気?」
「優秀な整体師の手技が効いてる。調子はいいよ」
 さりとて立ったままでは話しにくい。グウィンの隣の一斗缶にすわった。
「グウィンてさ……別の意味でよく〝見える〟よね」
「えっと……説明求む」
「人間の知覚の八割は目からっていうでしょ。だから視覚情報に頼りがちになる。けど、グウィンは耳や嗅覚を並行して働かせて、さらに推定や推測で補う。だから、ごまかしが通用しないんだよね」
「実感ないなあ」
「あたしは見た目で人をだましてきた。運動といえば散歩ぐらいしかやらなさそうなオバさんのふりで油断を誘って仕事して。つくった笑みで人のあいだを立ち回って。
 でも、グウィンには効かないんだよね。たとえば笑うことで無理くり気楽をつくっても、笑ってるのは顔だけだから声や呼吸で読まれちゃう。本音で話すしかなくなる」
「アイスの顔がよく見えなくて良かったと思えたの、初めて」
「だから、これから話すことの本気度もわかってもらえると思うんだけど」
「本題ね」
 声のトーンがわずかに変わっただけで、グウィンの姿勢が前傾気味になった。全身で聞こうとしてくれる。
「グウィンは訪問施術だけで、店舗は構えないの?」
「あれ? アイスの話じゃなかったの?」
「先にグウィンの気落ちを確かめといたほうがいいかと思って」
「わかった。えっと、店舗だよね。ひとことで言うとお金がない。整体院を構えてとなったら、備品の購入だけでも大きな出費だから」
「けど、いちいちお客のところに出向くのは大変でしょ」
「歩くの好きだから、そこは気にならない。寒いの苦手で冬がつらいってだけ。雨や風が強い日に、周囲の音が拾えなくてヒヤリとしたことあるって点では大変だけど」
「じゃあ、施術室をもつのも悪くはないんだ」
「でもない」
「手強いな」
「ん?」
「具体的におしえて」
「来てもらうとなると、お客にとって心地いい空間にしなきゃいけない。行き届いた掃除っていうのが、あたしには難問なの」
「ひとりで何もかもしなくていいなら、そこも問題なくなるね」
「アイス、もしかして……」
 質問の意図に気づいたらしい。
「引退したら店やりたいって聞いてたけど、食べ物とか雑貨じゃなかったの?」
「食べ物は衛生管理が面倒だし、雑貨やるようなセンスない。グウィンには喜んでもらえるって考えたんだけど、その顔どうみても呆れてるよね。なんで?」
「せっかく自由になったんだから、アイスのやりたい商売やりなよ。整体院なんて稼げる商売じゃないんだし」
「グウィンの顧客なら、そこそこ数いるでしょ? 歩ける人に来てもらったら最低限の売り上げは大丈夫じゃない? あたしが事務管理や掃除を担当したら、ほかにスタッフ雇う必要もない。あと隅っこでお茶でも売って、小銭を稼ぐ」
「そんな大雑把で甘々な事業計画、全っ然、大丈夫な気がしない」
 ダメ出しして、ばっさり切り捨てられた。
 もっとも、言葉とは裏腹にグウィンの表情は悪くない。


 アイスにとって、ひとりで生きることが当然で、仕事の相棒がいても、ひとりでいることに変わりなく。それでも、ひとりでいることに侘しさを覚えることがある。そんなときにグウィンと出会った。
 助けに入ったのは気まぐれではない。
 グウィンにとって白杖は、いろんな意味での武器だ。その唯一無二を奪われても、理不尽な暴力に真っ向から抗う向こう見ずに、自分にはないまぶしさを感じた。
 ここで見かけた偶然は、必然かもしれない——。
 そんな期待をもってグウィンに加勢した。負った怪我が整体師であった彼女との結びつきを強くしていった過程を思うと、間違いではなかったといえる。
 一緒にいることが心地よく、頼れる存在になる人は初めてだった。
 グウィンの手が、強張った患部を、疲弊した気持ちを、ほぐし続けてくれた。空気みたいな自然さでサポートしてくれた。
 高須賀未央の件にしても、施術の予約をとっていたせいでグウィンを巻き込んだと思った。けれどグウィンは、借りを返しているだけと軽く言ってのけ、ポジティブな機会として積極的に巻き込まれてくれた。
 グウィンがいたおかげで気持ちに張りが生まれ、オマケみたいに感じていた引退後の生活で、どんなことをしようかと考えるようになっている。
 生きている実感とは、こういうことだったのか……


 アイスは一斗缶から立ち上がった。腰をのばしながら訊ねる。
「お腹にデザートの余裕ある?」
「ばっちこーい!」
 おちゃらけたグウィンが、スチール製の白杖を高く掲げた。スイーツを食べに行くというより、殴り込みにいくみたいだ。
「チョコミント・アイスクリーム、食べてみたくなった。付き合って」
「めずらしい。ゆとりができたから、甘いものも大丈夫になったのかな」
「いままでと違う体験、手軽なとこからやってみようかなって」
「<エスクリム>でいい?」
「残すと倍額請求されるアイスクリーム屋だよね。店にいくのは何十年ぶりだろ」
 子どもだった一太を連れていったきりになっていた。
「残しそうなら、あたしがこっそり食べてあげるよ。そうしとけば、いつかトラブル起きたときに、今度はアイスに助けてもらえる」
「エンドレスで終わりがないよ」
「そういうもんじゃないの? 息が長い付き合いって」
「ま、そんなもんか。頼られてばかりは疲れる。頼ってばかりでも気詰まりっていう」
 ほどほど、どちらもが楽でいい。


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