[小説]青と黒のチーズイーター 8章 パートナー 3話 相方は空を跳んでやってくる

3話 相方は空を跳んでやってくる

 塔屋にたどり着くなり、小爆発の音がクドーの鼓膜をうった。
 発砲音だ。ハンドガンを抜いたクドーは、開けっ放しのドアから屋上に飛び出した。
「警察! 全員両手をあげて動くな、スガさん、あんたもや!」
「まだ誤解しているのか⁉︎ 早く折場をおさえ——!」
 スガの言葉が途切れる。追いかけてきた巡査に目をやった数瞬で、ダニエラが肉薄していた。


 クドーの警告は聞こえた。
 しかし、ダニエラには言葉ではなく、単なる音として耳に入っただけだ。
 倒れたまま動かないルシアに、頭の中が沸騰する。理性が消失し、猛然とスガに殴りかかった。
 スガがすぐに気づく。向き直ると同時も銃口もこちらに突き出される。
 弾丸を避ける動作はいっさいしなかった。そのまま突っ込んだ。
 発砲音。左腕が熱くなる。
 おそらく撃たれた。交感神経の過度な興奮のせいか、痛みを感じなかった。
 危険を承知で力を貸してくれたルシアを撃ち、生き方のリトライを阻もうとする刑事に、憤怒が暴発する。


 撃たれてなおスガに向かっていったダニエラに、銃での警告はききそうにない。
 クドーはハンディライトを取り出しながら、通りに面したほうのパラペット胸壁まで走った。
 携帯無線がないならアナログで発信だ。大きく息を吸い込んだ。
「リウ‼︎ クリーニング屋の屋上や! 10ー33‼︎ 10ー33‼︎」
 ——緊急、オフィサー応援求む。
 騒音の苦情が一発でミナミ分署に入ること間違いなしの大音声で叫び、ライトを大きく振った。
 二手にわかれたリウは、さほど離れていないところにいるはず。
 リウなら地上の雑音のなかでも、銃声を聞きつけているはず。
 ライトを目指して来るはずだ。


 スガが放った弾丸は、ダニエラの左上腕にそれた。
 肉を削いだが、動きを止めるまでにはいたらない。迫ってくるダニエラに気押された数瞬で、スガは接近を許してしまう。
 体重をかけたダニエラの右拳に、左ボディを打ち抜かれた。
 拳のパワーが防弾ベストを通り抜け、胴体の奥まで届いた。内臓を揺さぶられる。
 苦しみのあまり呼吸を忘れそうになる。足から力が抜けた。
 膝が折れたところで右手を蹴られた。彼方に飛ばされるハンドガンを目で追ったはずが、濁った夜空で視界がいっぱいになる。
 ハンドガンを蹴り飛ばした足で胸を押され、大の字にひっくり返されていた。
 マウントをとったダニエラ折場が、<モレリア・カルテル>で這い上がった女の凶猛さを体現してきた。


 
 スガを殴り殺しそうな勢いで、ダニエラが拳をふるう。
「これ以上はあかん! ダニエラ、離れて!」
 拳をふりあげたタイミングで、クドーは右脇の下から腕を差し込んだ。右肩に回してしがみつく。背後から片羽交い締めにしようとした。
 前方に引っ張られた——と感じたのは次の動きのためだった。反動をつけた右肘で、後方に吹っ飛ばされた。
 ダニエラの殴打はとまらない。頭部をガードしているスガの腕ごと殴りつけた。
 重いパンチでスガの上体が揺れる。このままでは取り返しがつかなくなる。重罪を犯させるよりましだ。
 クドーは照準した。トリガーガードからトリガーへ、指を移そうとしたとき。
「クドー!」
 待ちかねた声が届いた。
 振り返った先にリウがいた。しかし、この屋上ではない。
「なんで隣のビルやねん⁉︎」
 リウが助走の姿勢をとった。
 疑問はあとまわし。相方がやろうとしていることをさとり、いま少しの時間稼ぎにかかった。
 クドーは、ガーデニングのスペースに走る。鉢植えがならんだ棚からひとつ失敬。多肉植物の鉢をとると、スローイングフォームにはいった。
ルシア﹅﹅﹅! 刺さるで、けてや!」


 ルシア?
 倒れているルシアへの呼びかけに、ダニエラは反応する。思わず声のほうに振り向いた。
 サボテンが、一直線で飛んでくる。
「ぅわっ!」慌ててよけた。
「なにをっ——!」
 サボテンを避けるためにとった体勢でたたらを踏む。その隙でクドーに、サイドから右腕をとられた。
 膝裏に衝撃。蹴りを入れられ、膝が折れた。
 姿勢が低くなったところで、肘を逆関節で極められた。怒りの感情に溺れていた頭が、強烈な痛みによって叩き直される。
「ルシアの容態を確かめて! 死んだとは限らへんやろ!」


 屋上から屋上へ。
 リウは、移動の最短距離をとる。
 スタートを切ろうというとき、わずかに躊躇っていることを自覚した。
 地上ではどうということはない距離だが、風が強い。向かい風を切って飛び移る先の屋上は、いま立っている屋上より若干高かった。
 躊躇いが恐怖心を呼びおこし、身体のパフォーマンスを引き下げようとする。その原因を理解することでコントロールした。
 飛び越えようとする空間の地上は路地がひろがり、明かり少なかった。地上が見えない利点の反面、底無しの暗い空間に、引きずり込まれるような錯覚がおこる。これのせいだ。
 恐怖心があるのは悪いことばかりではなかった。慢心をいさめるカンフル剤になる。完璧なスキルでなくとも生き延びてこられたのは、恐怖心を活かしてきたからだ。
 いける。
 バディのもとへ、助走にはいった。
 パラペットを踏み切る。
 屋上から跳んだ。


 ダニエラのマウントから逃れたスガは、ふらつきながら上体を起こした。
 怒らせた折場の暴力は凄まじかった。最初の二、三発の拳で額を切られた。片方の目に血が流れ込み、視界がふさがれている。
 状況を確かめようと周囲を見回す。開いているほうの目が、薄闇のなかを跳躍してくる人影をとらえた。
 思考が一瞬だけ止まる。すぐに出口がなくなったことを悟った。
 夜間のアクロバットを冒すパトロール巡査——追いついてきたクドーのバディが、逃げ切れないフィニッシュブローになる……。
 諦念の心境から思い浮かんだ解決策は、ひとつだった。
 全力をつかって立ち上がった。定まらない足取りで屋上の縁へと急ぐ。
 追ってきた巡査に頼んだ。
「弟の子どもに金が……治療費がいる。頭を殴られて方向を誤って落ちたと言ってくれ!」
「遺族年金のための偽証はごめんや! 止まって!」
 クドーからの返答は予想どおりだった。仲間を売ろうとした人間を助けようと必死になっている。
 刹那、悲しい笑みがもれた。この若い警官のために、せめて反面教師ぐらいにはなれるだろうか。
 屋上の縁にフェンスはなく、転落防止に腰の高さのパラペットがあるだけだ。
 不始末に自分で決着をつけるべく、スガはパラペットを乗り越える。
 脳裏をよぎった顔に、謝罪の言葉を——


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