[小説]青と黒のチーズイーター 2章 隠れ家はルーフトップ 1話 答えは「座って、待って、しゃべっている」

1話 答えは「座って、待って、しゃべっている」

『10ー40(喧嘩)』
『10ー88(不審人物)』
『10ー37(不法侵入)……
 車に載せた無線機から絶え間なく、司令室からの実動指令と応える警ら警官との、コードワードを使ったやりとりが流れてくる。夕刻から午後十一時にかけてが、南方面分署がもっとも忙しくなる時間帯だった。
「無線流しっぱなしにしてはるんですか? 刑事課のスガさんには必要ないのに」
「管区の情報は、なるべく入れていこうと思って。何かの役に立つかもしれないし」
 スガが運転する覆面セダンは、緩慢なスピードで進んでいた。
 普段から車が多いうえに、歩道におさまりきれない人間が車道にあふれだしていた。クラクションを鳴らしても無意味。圧倒的な数の歩行者が、譲ってくれることはない。
 ナビゲーターとして助手席に座っているクドーはじりじりする。
「降りて走ろか?」
 せっかちを発揮すると、後部シートのリウが応えてくれた。
「ん」
 シートベルトに手をかけた制服コンビを、
「待て待て待て」
 スガが落ち着かせようとする。
「湿度八十%だぞ? ふだんの徒歩警らで慣れてるかもしれんが、楽できるところは楽をしておけよ。もたないぞ」
「……ですね。やっぱ、体力温存しとこか」
 クドーは、あっさり前言を撤回した。
「警護がおわっても、シフト時間いっぱいまで働かされるんやし」
 防弾ベストをつけているのは、私服になっても同じだ。クーラーの恩恵を受けられるうちに受けておくことにする。
 さして進まないうちに赤信号でまた止まった。手持ちぶさたなのか、スガが訊いてきた。
「クドー巡査は刑事資格をとらないのか?」
「張り込みとか、あたしの性分にあいません。アホらしい通報もいっぱいですけど、ミナミを歩き回っているのが好きなんです」
 そして刑事になれば、いま以上のペーパーワークをやらされるのがイヤだ。
「リウ巡査は? 刑事でなくても、戦術チームとか。軍役経験があるのならチャンスも大きいんだし」
「〝Sit Wait And Talking(座って、待って、しゃべっている)〟のSWATですか?」
 スガが笑った。
「その答え方でわかったよ」
 立てこもりなどでも、いきなり戦術チームが突入することはない。交渉係が降伏を呼びかけるあいだ、監視役をこなしながらの待機となる。そして、どうにもならなくなってから、やっと出番がまわってくる。
 皮肉で使われる例えだが、本当にそう思っていそうだった。
 クドーも話をふった。
「スガ警部補の組織犯罪係勤務は、自分から志願してですか?」
「いや。誘われたから自分にもできるかと単純に考えた。刑事になったのだって、給料があがること目当てだ」
「昇給いうても、もとの給料が少な過ぎる思いません? それに組織犯罪係やと、ご家族が心配されたりしませんでした?」
 スガが怪訝な表情になる。
「家族と一緒にいるとか、プライベートを話したことあったか?」
「あ……すいません。出るまえに電話されてたの、ちょっこっと聞こえてしもて。ひとのウチのことに気安く口だすの、悪いくせなんです」
「地元出身だったな。まあそれが、ミナミの人間のいいところかもな。互いにお節介をやきあってて」
「馴れ馴れしいとも言いますね。初めて会うた人のグチ聞くんも、ようあることやし」
「じゃあ、おれのグチも聞いてくれるんだ?」
 冗談めかして言うスガに、
「ええですよ。グチは持ったままでおると腐ります。お互いさまで、ぶっちゃけあうのが一番です」
 クドーは朗らかに返した。
「悩みや心配事は、話して外に出してしまうに限ります」
 スガの横顔が真剣なものになった。
「電話してたのは、その……義理の弟なんだ」
 左手が無意味に変速ギアをさわる。
「弟ひとりで、六歳の子どもを育ててる。シングルになった事情とか、ミナミに住んでいるときには、いちいち聞かれることなんてなかった。それが今度、義弟が郊外に引っ越すことになって。家探しをしてると、部屋を借りる条件みたいに、家庭のプライベートをあれこれ訊かれる。不愉快でたまらないんだ」
「ミナミの付き合いは、べったりに見えて案外そうやない——あ、そこ左に」
 合図に従い、スガがウィンカーをだした。二車線道路から一本なかにはいる。
 壁面や建物から突き出た看板は、漢字にカタカナ、アルファベット、ときにハングル表記が混在する。この街のありようが見てとれる通りは、人の波で自転車のスピードでしか進めなくなった。
「そろそろ限界やから、停めてください」
「保護対象の高城ルシアがいるビルを見ておきたい。もうちょっと待ってくれ」
 しかし、フロントガラスの向こうには、食べもの屋台がみっちり並んでいる。
 地元料理やエスニックから国籍不詳まで。さまざまな屋台にそって並ぶミニテーブルや椅子が、道路をさらに細くしていた。それらがパイロンのようになって車の侵入を阻み、なかば歩行者天国になっている。
「これは……あきらめたほうが良さそうだな」
 覆面車を道路脇によせた。
「もう、すごそこですから。このまま真っ直ぐいって、ふたつ目の角を右にはいるとタカハシ診療所があります。小さい看板なんで見落とさんようにしてください。さらにそこから十……二十メートル? ぐらいいったとこに、警護対象がおる<昭和ナムグン南宮ビル>があります。ビルの名前が消えかけてるんで、ハンバーガーの自販機があるビルを目安にしてください」
「たぶん覚えた。高城の部屋は、片っ端からノックして探すのか?」
「その必要はないです。彼女がおるのは、たぶん最上階。部屋番号がなかったんは、屋上に〝増築〟されたとこやからです」
「増築……あ、このあたりなら、そのパターンがあったか。しかし、よくビル改修のことまで知ってたな」
 リウが口をはさんだ。
「地元民の井戸端会議に、まめまめしく参加して回っている結果です」
「いつも必要最低限しかしゃべらんくせに、こういうときだけ話にのってくるんやな、あんたは。言うとくけど、ここいらの住民の情報網はバカにできへん——」
「スガ警部補、ありがとうございました」
 バディの口撃を流して、リウが素早く車をおりた。
 クドーもドアを開けながら、
「番地の報告はスガ警部補にもお願いできますか? 無線が通らへんかもしれへんので」
 スガの返事を聞くまえから慌ただしく相方を追いかけた。


 人込みのむこうに消える二人の背中を見送ることなく、スガは反対方向へと走り出した。公衆電話を探す。
 高城ルシアの居場所の連絡もさることながら、家にも電話を入れたかった。
 今日の帰りは遅くなるだろう。話だけでもして、義弟の不安をやわらげてやりたい。
 ダニエラ折場に協力者がいる可能性をリリエンタールは否定しなかった。高城の保護にあたって、折場以外の人間が邪魔してくるかもしれない。
 可能性の段階でも情報をいれて、暴走させないようにしないと——。
 クーラーの効きが悪くて暑いのに、ステアリングを握る手が冷たい。
 行き止まりに向かって進んでいるせいだ。
 引き返せるポイントは、すでに過ぎていた。


 クドーは、ミナミ以外の土地で生活したことがない。行動範囲が狭い子どもの頃、屋台通りの賑わいは一般的なものだと思っていた。
 人口が多いミナミの居住面積は、極端に狭い。キッチンが狭いことはもちろん、ないことすらある。そこに安価と手軽さで応える食事供給があるから、みなが屋台を利用する。家族そろって三食屋台もめずらしくなかった。
 夕刻になると観光客に加えて、今日一日の仕事を終えた住民がくりだしてくる。屋台がある通りは、これからますます活動的になり、人が増えてくる時間帯だった。
 クドーは人の波の狭間をぬい、小走りに進んだ。
 警官になると、雑踏のなかを走ることが日常になった。身体を斜めにしてすり抜け、ステップで調整すれば簡単だ。先に車をおりたリウに、すぐに追いついた。
 これからが書き入れ時になる食べ物屋台から、香辛料や加熱された食材の、さまざまな匂いが流れてくる。キルコリトーストひとつでは満たされない胃が刺激された。
 リウが歩を緩めて振り向いた。
「高城ルシアの家には、先に行っておく。今のうちに」
「え……ほんまにええの⁉︎」
「ん」
「もちろん」の「ん」だ。
 ——対象の家に着くまえに、軽く食べればいい。
 その場のなぐさめではなかった。
 クドーは、両手をひろげてハグのアピールをする。
「リウ、愛してる! すぐに追いつくから!」
「はいはい」
 右から左に聞き流して行こうとする相方を呼びとめた。
「スガさんが言うてたさっきの話、先に聞いときたいんやけど……」
「?」
戦術チームSWATの選抜試験、受けてくれてええんやで?」
 ここ最近、考えていたことだった。
 この機会に言っておこうと踏み切ったはずなのに、後悔に襲われる。答えを聞きたくないような……
「私がクドーに遠慮しているように見えていた?」
「や、あたしかて、誰とでも組めるつもりやけど……」
「本当に興味がないこともあって『Sit Wait And Talking』と言った。少なくとも今は、警ら課で満足している」
「戦術チームのほうが給料ええし、まわりからの評価もたこなるのに?」
「刑事になれば、下っ端制服と見下されることも、事件の雑用を押し付けられることもないのに?」
 クドーは、大きな瞳をさらに大きくしたまま固まった。一拍おいて吹きだした。
 肝心なことを忘れていた。
 言葉数が少ないリウだが、大事なことは必ず伝えてくる。あえて言わない場合は、リウなりの考えなり事情があるときだ。訊くまでもなかった。
 安心すると、よけいに空腹感が強くなった。
「屋台探しに夢中になって時間を忘れないように」
 わずかに口角をあげると、広い歩幅で歩いていった。
 見落としそうなぐらいの、かすかな笑み。
 それに応えようと、クドーはすぐさま屋台の物色にかかった。快く送り出してくれたものの、リウが面倒がる分野——保護対象への説明は、気が重いはずだから。


 クドーは、小走りしながら財布を取り出す。
 日が暮れて間もない時刻で、すでに屋台は混みあっていた。目にとまった最初の屋台へ。
 観光客や地元民にまじって、潤餅ルンピンをひとつ買った。これなら歩きながらでも食べられる。
 ひとつでは全然足りないが、ひとまず落ち着くことができればいい。リウの厚意に甘えたぶんを取り返そうと、先を急いだ。
 もたれあうように建っているペンシルビルは、同じ階数でも隣と高さが違っていたりする。そのなかのひとつ、ハンバーガー自販機をそなえた建物にはいった。
 警護対象の高城ルシアの部屋は、最上階。このビルは七階建てだから「八階」になる。
 バルコニーを改築して〝部屋〟にしているところは多い。同様に、屋上を増築して〝住居〟にしている世帯もあった。ルシアの部屋は後者だろう。
 こういった部屋では、部屋番号がないか、個人で勝手につけているかのどちらかだった。
 ミナミは中層のビルでもエレベーターがないことが多い。潤餅をかじりながら、狭苦しい階段をひたすらあがった。
 天国にゴールできそうなほど走らされたアカデミーで、身体をつくり直したあとも、日々の勤務で走り回っている。これぐらいで呼吸が乱れることはない。
 五階の踊り場で潤餅を食べ終えた。包みを小さくたたみながら塔屋につく。屋上に出るドアをあけた。
 開けた空間で、じっとりと生温なまぬくい風が顔をなでていく。湿度が高いせいで汗が乾かない。高城ルシアの家に、クーラーがあることを願った。
 屋上の半分は、共用の物干場、ガーデニングや家庭菜園でしめられている。残ったスペースに〝家〟が、つぎはぎのようにくっついていた。
 プランターや鉢に植えられた緑が、屋上の日差しを存分に浴びて、野放図に繁殖していた。
 補修工事のための一時転居で、持ち主が世話できないはずだが枯れてはいない。ビルにまだ残っている誰かが水をやっているようだ。
 これでもかと生い茂ったブラックベリーの横から、リウの背中が見えた。
 まだ家の中に入れてもらっていないのは、ある意味安心だった。
 感情がみえない切れ長の目にそわせた傷痕。土着信仰を感じさせるタトゥー。
 リウの見た目は贔屓目ひいきめに見ても、警官に呼び止められる側の人間をイメージさせる。そこから高城ルシアの猜疑心が大きくなったこともあるだろうが、警察バッチだけで安易に信用しなかったとすれば頼もしい。
 バッジや制服のレプリカを手に入れて、警官になりすますのは簡単だった。
 警護対象に好印象を与えられることを期待しつつ、クドーは明るい声を意識する。驚かせないよう、距離があるうちから声をかけた。
「ごめん! ありがとー!」
 背が低くてベビーフェイスな自分も、リウとは別のポイントで警官であることを疑われやすい。
 バッジだけでなく、IDカードも用意しながら駆け寄った。


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