[小説]青と黒のチーズイーター 1章 その差三十四センチ(公称) 6話 リリエンタールのバディ
6話 リリエンタールのバディ
クラシカルなシルエットの菱形ボブに、チャコールグレーのスーツ。隙のない容姿の女が副署長室にはいってきた。
知っている相手なので、挨拶は一言のみ。リリエンタールは、もたらされたビデオテープを受けとるとデッキにセットした。
高い視点から撮られた映像が映し出される。おそらく防犯カメラ。民間では、まだまだめずらしい。
照明不足の映像のなか、テーブルについた二人の男が話し込んでいた。
顔が見える男は、いま渦中の組織<モレリア・カルテル>のボス、エンリケ・デルガド=ドゥアルテ。
そして、こちらに背中をみせている男の頭頂部に満月がでている。聖職者が頭頂部の髪を円形状に剃った、トンスラのようにもみえる薄毛。
それだけで該当者の顔が、リリエンタールの脳裏にうかんだ。
やがてふたりが立ち上がり、握手をかわす。背中を見せていたトンスラが、身体の向きをかえた。荒い映像でもはっきりわかる。
黒フレーム眼鏡をかけた男は、南方面分署の署長、松井田だ。疑いから事実になった。
リリエンタールは、監察課員にたずねるでもなく言葉にした。
「この映像の出どころは匿名でしたな」
松井田がカルテルと通じているという情報がきたあと、たたみかけるように本部の監察課に映像が送られてきた。このタイミングだと、同一人物が送り主か。
これまで内通者の尻尾が見えているだけだった。それだけ互いの連絡に慎重を期していたのが、ここにきて一気に明らかになってきている。
協力者の出現が大きいが、隠れていた松井田が前に出るしかない状況になっているのかもしれない。カルテルの信用を得るため、あるいは自分の存在をアピールするため……
考え込むリリエンタールにボブカットが声をかけた。
「あなたの実力はわかってるつもりだけど、呑み込まれないようにして」
「まぁ……」
リリエンタールは、意外という顔をしてみせる。
「秋本さんから、そないに優しいこと言うてもらえるやなんて」
「形式的に言ってるんじゃないのに」
ため息と苦笑が返ってきた。
「監察がしょちゅうミナミ分署にくるのは嫌がらせじゃない。なにより今回のあなたは、あの〝幽霊〟と連絡とっているよね?」
「耳が早いこと。さすがに秋本警部補はあなどれませんなあ」
「はんなりした外面に惑わされるような浅い付き合いじゃない。帆奈のバディだと自負してる」
ふたりだけの部屋で、秋本ソヒョンが声を落とした。
「正攻法だけで片付かないのはわかってる。でも、方法は自重して」
「ええ、よう覚えときます。わたしも失業したないですよって」
松井田の件について手短かに打ち合わせ、秋本が早々に引き上げたあと、リリエンタールは再考する。
普及の兆しはあるものの、防犯カメラを設置している店はまだ少ない。映像を手に入れられる者は限られていた。
また、本部に送られてきた理由は、義憤とは限らなかった。
私利であるパターンを想定してみる。映像を送りつけた目的として考えられるのは、松井田を——
ノックの音に思考がさえぎられた。パクが顔をだした。
「アポはありませんが、リリエンタール副署長にお会いしたいという方が。<ミナミ飲食業福利厚生会>の劉さんです。副署長がご存知のはずだということですが、どうされますか?」
「リウ……ああ、劉立誠さんですか。お通ししてください」
「劉」と聞いて、リウ・フォンリィェン(劉風蓮)巡査が先に浮かんだせいで、一瞬混乱した。同姓の人違いだ。
名前といえば、カタカナ表記や通称名の使用が、ミナミ分署では多い傾向にあった。
ルーツの国が多岐にわたるほど、聞き慣れなれなかったり、発音しづらい名前も当然でてくる。ルーツを大事にするか、日常の使いやすさを優先して通称名を使うか。公的な書面をのぞけば、選択は個人の自由になっていた。
少数ながらあるのは、個人の感情から、家の姓をそのまま使わない場合があること。
これも多民族になったことによって、「家」や「家族」の考え方が、この国の旧来のものから変化してきている表れといえた。
来客の受け入れにうなずいたリリエンタールに、少し複雑な表情でパクが応える。すぐに戻っていった。
その様子からして、劉立誠がどんな人物なのか知っているらしい。
しばらくしてガラス壁のむこうに、ビジターカードを胸にとめた男がやってくるのが見えた。ノックされる前にリリエンタールからドアを開ける。
それにしても、敵陣にまで乗り込んでくるとは思わなかった。
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