[小説]青と黒のチーズイーター 3章 追いかける者、追い詰める者 4話 百合の谷は、ブル
4話 百合の谷は、ブル
立誠が副分署長室に持ち込んだビデオを再生する。
映像は、松井田のときと似たような光景をうつしだした。
<モレリア・カルテル>のボス、エンリケ・デルガドと話しているのは松井田ではなく、別の警官だった。
「この警官の名前を店におった者が耳にしとります。『サゲイト』と聞こえたそうで」
「『サゲイト』……ああ、なるほど」
顔と名前を一致させたリリエンタールは、一瞬だけ眉をしかめた。
可能性は考えてはいたが、予測が当たって嬉しいことでもない。すぐに頭を冷やして、考えをめぐらせる。
防犯カメラを設置している店舗は、まだほとんどない。新しく設置されたことを知らず、うっかり映ってしまったのか。
それにしても、警戒心が強い人間の証拠映像をこのタイミングで撮れるものだろうか。
疑問を察知した立誠が、飄々とした態度で答えた。
「ミナミの飲食関係でのあれこれは、わたしんとこに情報が集まってきます。悪いことに関しては特に聞き耳をたてとりますから。
そういうことで、松井田の内通情報も手に入りました。表に出されへん金は、ベットの下にでも隠しといたらバレへんかったでしょうに、洗浄のつもりか不相応な額の絵を買い漁った。その相手が、ミナミのレストランにレンタルもしとる美術商やったから、わたしの耳にも入ってきて、情報提供者を得るきっかけになったんです」
再生中の映像の中の「サゲイト」が、カルテルのボスから封筒を受けとった。
「しかし、このテープを証拠とするには弱いですね」
リリエンタールは正直な意見をぶつけてみる。
「封筒の中身を特定できませんし、囮捜査といった言い逃れができるスキがあります」
「そこは情報提供者——ダニエラ折場に期待してください。検察から逃げ出したそうですけど、すぐに姿を現すでしょう」
「……情報が早いですね」
立誠がしれっと答えた。
「<モレリア・カルテル>に、致命傷を負わせる決め手になるかもしれん協力者です。気にはかけとります」
毒にも薬にもなる、紙一重。立誠がどちらになるかは、こちらの対応次第といえる。
リリエンタールは、密かに深く呼吸する。声音を平静にして訊いた。
「あなたのもとに、ミナミ分署や検察からの〝ネズミ〟がくることも?」
「ギブ・アンド・テイクでやっていきたい相手に、そんな手は使いたないですな。働き者の〝ネズミ〟が、そうそう都合よく見つかるもんでもないですし」
「使わない」とは言わなかった。
「しかし、驚かんのですね。立て続けに汚職警官が見つかっても」
「最初はコーヒーをおごられ、その次はサンドイッチ。受けとる感覚が麻痺して、金を懐に入れるまでになるのは簡単なものです。残念ですが」
話の流れをかえた意を察し、リリエンタールも内通者の話題を切った。
「せやから茶も出さへんスタンスなんですな」
紙コップの水すら出されていないテーブルを立誠はなでた。
「青くさいと思われますか?」
「理解でけへんとは言いません。けど、加減がむずかしいからと最初からなんもせんのは、どうですかな。食事をともにして、関係のない話も続けてはじめて、実質的な話もできるようになるもんです。
母親がミナミで商売はじめたんは、戦後の闇市からでした。一般客からは見えへんバックヤードが、本音の取り引きの場でしたよ。
わたしの心象を良うしようと、出前さしたコーヒーと一緒に、特別なもんをいれた菓子箱を出してきた分署長もおります。けどこっちも、出されたもんなんでも食べるわけやない。出してきた人間とあわせて選別はさしてもらう。下手なもん体にいれたら、腹を壊しかねませんよって」
立誠が立ちあがり、ガラス壁のそばにいく。人差し指をパーテーション上部にあるブラインドにむけた。
「こいつは上げっぱなしのままですか? オープンな話だけやのうて、ブラインドを下げてるときのリリエンタール警部と話してみたいもんです」
商売人の顔をとりはらって話を続けた。
「<桃李苑>は奥が深いとこでしてな。どこまで入るんかはリリエンタールさん、あんたさんが選びなはれ。
賄賂をはねつける強さと、ええ意味での上昇志向がある警官——。
不躾な例えしか思い浮かばんのですけど、リリエンタールさんには、攻撃しようと角を突き上げてすすむ雄牛のイメージを感じるんですわ。
『百合に谷』いう風流なお名前の内にある、ほんまの姿に期待しとるからこその申し出です。応えてもらえるんやったら、礼儀を尽くしてお返しします。こちらのバックヤードまで入ってくる気概があるんやったら、〝幽霊〟と益を取り合うこともね」
挑戦的な眼差しがリリエンタールをとらえた。
揶揄も皮肉もはいっていない。立誠はすでに駆け引きのスタートを切っている。
リリエンタールは、表情には出さずに震えていた。
歓喜が奮い立たせてくる。
自制心、交渉力、胆力、あらゆるものをフルに働かせる付き合いになる。
これまで以上に踏み込んだ挙句に下手を打ったら、今度は自分の身が監察部にさらわれる。それでも、
「よろしおすなぁ」
剥き出しの言葉で告げた。
「そこまで言うてもらえるんやったら、こっちも気ばらしてもらいます。目指してるもんが同じやったら、ええ同志になれるかもしれまへんな」
リリエンタールは腹を据える。石橋を叩いていては間に合わない。
「嬉しい答えや。信用できること、証明してみせなあきませんな。今回の件は、うちからも人手を——失礼」
言いかけた立誠を呼び出し音がさえぎった。ジャケットから取り出したポケットベルのメッセージを読みとると、
「話の途中で悪いですな。ちょっと電話かけてきますよって」
正面受付けの公衆電話にいこうとした立誠を呼びとめた。リリエンタールは、これからの意向をアピールする意味をこめて、デスクの黒電話を立誠に向けた。
「わたしは席を外してますから——」
荒っぽいノックが割り込んできた。
応えないうちからパク巡査部長がドアを開けた。立誠をみたパクが、視線で副署長に問う。
リリエンタールは外へとうながした。ドアを閉めると同時に、早口で報告をうける。
「玉屋町の南で爆発事故です。規模は小さいのですが、屋台とその利用客が巻きこまれました。死亡者はまだ出ていませんが、騒ぎが大きく、消防の車が進めない状況になっています。指揮をお願いします。松井田署長には、わたしから報告しておきます」
「地理をまだ把握していません。玉屋町で問題になるのは?」
「高城ルシアが隠れている近くになります」
リリエンタールの胸に引っかかりがうまれた。
「警護の警官に連絡は?」
「とれません。管区には無線がとおらないエリアが多数ありますが、届いていないのか応答できないのかは不明です。それから、スガ警部補から高城の住所報告があるはずなんですが、こちらもまだです」
「……わかりました」
スガのほうも報告できないのか、しないのかは……
リリエンタールは、副署長室に引き返そうとした。目前でドアが開く。
「先手をとられたかもしれへん。事件か事故か、まだわからんけど、わたしはホームグラウンドから動く。話の続きは行動を見てもろたらわかるはずです」
それからパクに向けて、
「松井田やのうて副署長に指示をあおいできたの、現場への配慮ですな」
言いおいて慌ただしく去っていった。
取引を持ちかけくるだけはあるなとリリエンタールは思う。ミナミ分署の内情に通じている。
規定どおりなら分署長に指揮を仰ぐところをすっとばした判断を褒めたのだ。
松井田の件はまだ隠されているから、汚職事件に関係なくパクは副署長に緊急の指示を求めたことになる。この態度が、松井田に対するパクの評価だった。
部外者の賛辞に憮然とするパクをうながして、リリエンタールは副署長室に戻った。
鳳梨酥(パイナップルケーキ)がソファーに置かれたままになっていた。
急な呼び出しで忘れたのか、故意なのかは、言わずもがな。
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