[小説]青と黒のチーズイーター 6章 「サゲイト」は誰だ 4話 A new look! イメージが邪魔をした

4話 A new look! イメージが邪魔をした

 携帯無線が復活していた。
 分署への連絡はスガヌマに、ひとまとめにした被疑者たちの見張り役は柾木に引き受けてもらう。
 クドーは、リウの応急処置にかかろうとしたのだが、
「たいしたことない。自分でできる」
 もう毎度の反応だ。ため息をつくこともない。
「右手親指が赤黒う変色して、腫れ上がってるのに、たいしたことないやなんて……」
 リウの右手をとった。
「怪我の大きさ関係あらへん。相方の心配するのは当然のことやん」
 そう言って色が変わった患部にやさしくタッチした。
 リウの表情に変化はない。ただ、奥歯を噛んだ。心なしか発汗したようにもみえる。
「あたしの気持ちをくんで、手当ては任せてくれるやんな?」
 笑みのなかの瞳に恫喝の色をまじえると、
「……はい」
 様子を見ていた柾木が、呆れと感嘆をミックスさせてこぼした。
「クドーは別の意味での武闘派だよな」
 応急セットをパトカーから取ってきてもらうのも手間だ。クドーは、キッチンから割り箸を見つけてくると、カットして添え木の代わりにした。包帯には、リウが持っていたバンダナを裂いて代用する。
 そのあいだ、左手で無線機の調子をみていたリウが、かすかにため息をついた。連絡網が復活したというのに、無線機そのものが壊れたらしい。
「報告書が増えた……」
「あんな派手なグラウンド戦したんやから当然やん。ヘビー級レスラーみたいなんと、くんずほぐれつやってどうもない、あんたの身体のほうが不思議やわ」
「けど、折れた」
 手当てされている右手を見た。
「正しくは『折った』やろ?」
 リウがわかりやすく視線をそらした。
「ほんまにもう、どんだけ無茶するねん。言うても、あたしのせいやから、煮干しとチーズの差し入れぐらい毎日……」
「……?」
「や、チーズで思い出したことがあって。フレデリーコがルシアにむかって言うてた『チーズグ』って、チーズのなんか? どういうもんなん?」
「食い物の話はよく覚えてるな」
 壁に背を預けて立っていた柾木が話に入ってきた。被疑者の見張り役がヒマなようだ。
「『チーズグ』じゃなくて『チーズ食い』って言おうとしてたんじゃないか? スガと一緒に出ていったひとりが、裏切り者の折場だったんだから」
「『チーズ食い』って、裏切りもんのスラングになるん?」
「折場は情報提供者だからな。密告者のことを〝ネズミ〟って言うだろ」
「ネズミはチーズ食べるからって? うそやんか、それ」思わず苦笑した。
「大昔の劇作家が、ネズミはチーズが好きとかデタラメ書いた……あれ?」
 添え木を縛っていた手がとまった。そのまま考え込む。
 リウは催促して黙考を妨げることはしなかった。左手と歯を使い、自分で完成させた。
「どうしました?」と無線連絡をおえたスガヌマ。
「や、なんかモヤモヤが急に……」
 クドーは、フレデリーコの言葉を思い返してみる。
 ——おもしろい絵面だよなあ。おまえらチーズぐ……
 おまえ
 発言した当人に訊いた。
「……なあ、あんたがさっき折場に向こて言うてた、絵面が面白いとかいうの、『チーズ食い』がそろたそろったからなん?」
 おとなしくしていたフレデリーコが、伏臥の姿勢から、のそりと顔だけあげた。意地の悪い笑みを口元にうかべる。
「さあな」
 クドーは、フレデリーコが否定しなかったとして考える。
「チーズ食い」のひとりは、証人となったダニエラだ。ほかにも「チーズ食い」がいるとしたら、ダニエラの協力者であるルシアなのか……?
 しかし、ダニエラとルシアが並んでいるのが「おもしろい絵面」になるだろうか。
 ダニエラと一緒にいたもうひとりは……ふと、ブリーフィングルームで見た、一枚の写真が脳裏をよぎった。なぜ、いま思いうかんだのかはわからない。
「あ、そうや」
 ダニエラでまた思い出した。
「ダニエラが出て行くとき、『サゲイト』いう名前の警官が、ミナミ分署におるか訊かれたんやけど」
「サゲイト……」柾木が口の中でつぶやき、
「いたような気がするんだが……名前のルーツが外見に出てるとは限らんから、しぼりにくいな」
「柾木アートも、ガタイ以外は地味やもんなあ。ブロンドでも碧眼でもないし」
「クドーは小さいくせに圧がすごいよな」
「それ、ご先祖さん関係ない」
「サゲイトさん、いますよ」
 スガヌマが話を軌道修正した。
「名前を聞いたとき、学生の頃に読みかじった社会倫理学の著者と同じだったんで印象に残ったんです。ただ、どなたのことかは忘れてしまって」
「うん、あたしも聞いた気はするんやけど……」
 相方をみた。
「…………」
「あんたも、わからんへんのやな」
 リウも記憶が定かでないらしい。
「あの、ちょっといいですか?」
 スガヌマが控えめな声で小さく挙手した。
「もちろん。どしたん?」
「『チーズ食い』や『サゲイト』とも離れますが、気になっていることがあって。思い過ごしかもしれないんですけど……」
「もったいぶらんとよっ」
 興味津々で食いついた。気になっていると言われると、こちらまで気になってくる。
「ここの地番ですけど、スガ警部補からの報告がちょっと遅かったんです。なんでも、分署からここまで四十分ぐらいかかったとかで。なにかトラブルでもあったんんですか?」
「四十分……?」おうむ返しをしてしまった。
「渋滞しとったけど、そこまでかかってへんで。スガ警部補は他になんか言うてた?」
「特になかったみたいです。報告を受けたのがリリエンタール副署長だったので、問い直すこともされなくて。ぼくらが応援の指示を受けたとき、ミナミの道路事情を確認されて、はじめて気づかれました」
「スガ警部補も応援要員だったんだが、つかまえられなくてな。結局、現地でやっと合流したから、本人に訊くヒマもなかった。仕事をずるけてたんじゃなきゃ、なんなんだ?」
「スガさんがこっそりどっかとか、考えにくい……あ……」
 クドーは、柾木の顔をじっと見る。
「なんだよ……見つめられるようなこと、おれ言ったか?」
「……そっか、ヒゲや!」
「やぶから棒だな。なに考えてたらヒゲが出てくるんだ」
 クドーは今日のシフトに入ってから、ずっと感じていた違和感の正体にいきあたった。たいしたことはない気がするのに、ノドに極小の骨が引っかかったままのような妙な感じ。それが、やっと抜けた。
「そやから、リリエンタール副署長のブリーフィングの写真の中におったんや! いまの見た目でしか見てなかったせいや!」
「待て待て、ひとりで突き進むなって」
 柾木がブレーキをかける。
「いきなり結論だけ聞かされても、わけわからん」
 柾木が、フレデリーコたちから離れた場所に皆をうながした。視線を被疑者たちから離さないまま、ゆるく集まる。
「声は落とせよ。それで、副署長室でみた写真のことを言ってるんだな? 知った顔がいたということか?」
「警護に入る前に、リリエンタール副署長から<モレリア・カルテル>のことも説明されたんやけど、ボスや構成員を撮った隠し撮り写真のなかに、スガ警部補が一緒におったんやと思う」
「『思う』って? ピンボケとかで、わかりにくかったのか?」
「ピンぼけもあるけど、印象が違いすぎてて気ぃつかんかった。ただ、自信もって言われへんから『思う』で」
 気配が薄いせいで、ときに存在を忘れられるリウが唐突につぶやいた。
「思い込みだ……」
「そう! それでわからんかったんや」
 声をひそめつつクドーのテンションが上がる。
「あたしらが知ってるんやから、柾木も覚えてるはずやで。勤務歴が浅いスガヌマやと知らんやろうけど」
「スガヌマが来るまえのスガ警部補……」
 思案から一転、柾木にぴんとくるものがきた。
「ああ! 麻薬捜査ルックか。あのボサボサ姿、すっかり忘れてた」
「え、なんですか⁉︎ みなさんだけで納得してないで、ぼくにもわかるように言ってくださいよ!」
 クドーがミナミ分署にきて、初めて会ったスガは、いまの容姿とかけ離れていた。
 カットを半年さぼったような髪を適当にまとめて後ろに流し、無精髭が顔をおおっていた。麻薬捜査担当者の多くがやっていた、当時のスタンダード・ルックだった。
 その姿で見かけたのは一、二度のこと。すぐに髪が短く整えられ、のびたヒゲもなくなって、すっきりした容姿に一変した。それだけ麻薬を売る側も買う側も、アウトローだけではなくなってきたからだ。
 スガのイメージは、さっぱりした後者で固定した。だから副署長室での写真で引っかかりを覚えても、思いがいたらなかった。
「あたしが副署長室でみた写真、髪やヒゲで印象が変わる前のスガさんかもしれへん」


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