【ジャニーズ問題】特権意識は簡単に取れない
じゃんけんの種類は3つしかなく、一つにのみ勝て、一つには負け、一つは引き分けになる遊戯だ。
何が出てきても勝てる手というのものはなく、「正義は勝つ」と仮にすれば絶対的な正義がない世界がじゃんけんだ。
実社会も同じだと思う。
9月7日、ジャニーズ事務所が初の会見をおこなったが、この問題はじゃんけんの手がいくつもあるようなもので、詳細は、9月8日の一人演芸協会YouTubeLIVEを見て頂くとして、
ここでは、自分の実体験の話をする。
自営業者、個人事業主、フリーランスの人は分かると思うが、発注してくれるクライアントは基本みんな良い人ばかりで、大きい企業だからといって我々のような人間に横柄な態度を取る人なんていうのは、ドラマの世界にしか存在しない。
ただ、稀にいる。
社会人として失礼極まりない、弱いものに強く、強いものに弱い、典型的なタイプ。ここでは「希少種」と呼ぶとしよう。
そういう人と当たってしまった数少ない実体験から言えるのは、特権意識は必ず元に戻るということ。
例えば先方がAと言ったとする。のちにBになったとする。
「最初にAって言ってましたよね?」
などとクライアントを論破してもなんの意味もない。Bになったのなら、全力でBで結果を出すのが、我々の仕事だ。
しかし、こういうこともある。
追ってCをお伝えします。
そのままお伝えされない。
Dをお支払いします。
お支払いされない。
こちらの仕事や生活に支障が出る明らかな間違いは、指摘しなければならない。
単純に先方が忘れている可能性だってある。だからこそ社会人として、大人として、最大限言葉遣いに配慮し、催促する。
当然向こうは謝罪する。大変失礼致しました。すぐに対応します。
そのときはしおらしくする。
しかしやがてそれは、元に戻る。
元来「希少種」に根付いている特権意識は、形状記憶合金のように必ず元に戻る。
ああ、俺ちょっと調子に乗ってたな。相手がフリーランスだからって、どこかで舐めていたのかもしれない。いかんいかん、こんなことではダメだ。ちゃんとしよう。
と心から反省し自分を改めることができる「希少種」はいない。
おそらくその「希少種」の印象に残るのは、
あいつ金に細かい面倒くさい奴なんだよなあ、フリーランスのくせに
という認識だけだと思う。
自浄作用、自省、もしそんな機能が権力の中にあるのなら、ビッグモーターのような問題も起きなかっただろうし、政治家の給料ももっと低くなっているだろう。
ジャニーズも同様だとは言わない。問題の張本人が他界しているから。
残っているのは、その張本人が築いた権力であり、それを引き継いだ人たちだ。
これまでジャニーズが奮ってきた権力が余りに強大なものだったことは、先の会見でも明らかになった通り。それは恐ろしく、圧倒的な支配政治だったと思われる。
我々が持っているものが10、ジャニーズが100だとすれば、今回の一件でその権力が半減し50になった、そんなイメージだとすれば、問題はその50が100に戻ろうとしないかどうかである。
ジャニー喜多川氏のプロデュース能力は天才的だったと言えるかもしれないが、ジャニーズ事務所のやり方は明らかにフェアじゃなかった。
全ては応援してくれるファンのため、という美辞麗句を動機に、他者の追随を一切許さない、弾圧的なシステムを構築してきた。
3ヶ月間、半年間はしおらしくするだろう。それは、国民やメディアに監視されているという意識が働くからだ。
ただ、大きくなりすぎた権力を入れ替えることは容易ではない。毎月100万円使って豪遊してた人が、月10万円でやっていけるようになるとは思えない。
どこかでなにかが吹き出さないことを願う。
8割の流儀・鷺谷政明
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