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天職に就いた者の2つの強さ

桜が散り始める4月下旬、老神温泉に素泊まりで行ったときのこと。

スノボーから帰ってきて駐車場で車を切り返していると、店主が飛び出してきて案内してくれた。

見通しが悪く停めにくい位置しか空いてなかったからか、気の利く人だなあと思った。

「ごめんねえ、今ここしか空いてなくて。しかも桜の真下になっちゃうからちょっと花びらが車についちゃうと思うんだけど、いいかな」

真っ白の短髪で、背も高くスラッとしている。60代くらいだろうか。

「全然そんな。大丈夫です」
「ご飯食べてきた?」
「いえ、まだ」
「コンビニとか近くにあるから、いっぱい買ってきてね」

チェックイン時も部屋への案内も親切丁寧で、外に買い出しに行くときも「気をつけてね。コンビニでいっぱい買ってきてね」と言った。

稀に、ホテルや民宿で持ち込み禁止のところがある。だからこそ、うちはOKだからね、という強調か。

あるいは。

近くにスーパーとかなくてごめんね、でもコンビニはあるからね、というアピールか。

はたまた。

素泊まりで取りやがって、食事付きで予約してこいよという嫌味の裏返しか。

コンビニに飯を買いに行く車を笑顔で手を振って見送る店主ってそういないから、いろいろ勘繰ってしまった。『ガンニバル』だと、ああいう優しそうな人が裏でとんでもないことしてるみたいな展開になるわけだが、そんなわけもなく。

戻ってくると、今度は血相を変えた着物姿の女性スタッフが店先に出てきた。

あれ、なんか俺悪いことしたかなと近づいていくと

「あそこ駐車したんですか…」
「ええ。…え?まずかったですか」
「案内できず…大変申し訳ありません」
「いやいやいや、そんなもう、さっきも停めたから慣れましたし。そこまで停めにくくもないですから、大丈夫ですよ」

あのご主人にして、この従業員。ホスピタリティが溢れ出て洪水になるほどに浸透している。停めにくい所をお客様に一人で駐車させてしまったと懺悔するように悲痛な顔で言うもんだから、かえって悪いことをしてしまったような気になった。

コンビニ飯で部屋で一杯やっていると、スマホから聞き慣れない音がした。

容量がなくなります、そろそろ通信制限かかります、の通知だった。

そうか、この宿はロビーにしかwi-fiがないんだった。これ以上部屋で使っていると容量がオーバーしそうだ。今日は一つ動画をアップしなければならない。

しかし、もしロビーでWi-Fiを使っているところをあの主人に見られたら、「部屋で使えなくてごめんね…。寒くない?毛布かなんか持ってこようか?コーヒー飲む?」とまた声をかけられそうだ。

あのご主人はまだこの宿にいるのだろうか。狙うならいないときだ。しかし、他の従業員もなかなかの手合いだ。ロビーにフリーwi-fiを飛ばしているなら、周辺まで近づけば拾えるんではないか。どこか隠れられそうな位置はないか。

wi-fiを拾う忍びの者のように作戦を練る。こうなるともう、気遣いと気遣いの戦いだ。

昔からお客様面するのが苦手だった。

俺は客だぞ、くらい居直れた方が旅先ではのんびりできるのかもしれない。従業員も、そうしてくれた方がやりやすいのかもしれない。

気が小さいからか、何らかの後ろめたさがあるからなのか、どうもお客様面するのが苦手だ。帰るときも、来たときと同じくらいに片付けないと出にくい。

結局そこからスマホの使用を控えることにして、本を読みながら眠った。

翌日、妙に早起きしてしまったのでロビーに置いてある無人コーヒーを買いに行った。

部活動なんかでよく見かける、青い給水タンクと紙コップが置いてあり、裏返された缶の蓋に100円玉が無数に散らばっている。

淹れたてコーヒー 100円

と手書きで書かれた紙が、タンクの上に添えられていた。

田舎に行くとたまに見かけるこういった無人販売。100%取れる。コーヒーも金も。なにかを試されているような気さえする。

パチン!と強めに音を立てて100円玉を置き、コーヒーを淹れて外の喫煙所へ浴衣姿のまま出ると、雨上がりの朝の気持ちいい風を感じると同時に、私の車にホースで水をかけている者が目に入った。

ご主人だ。

思った以上に昨夜の雨と共に車にこびりついた桜の花びらを、慎重にホースで洗い流してくれている。

すげえ。

今俺がここに来なかったら、なにも気づかずチェックアウトして終わりじゃん。

過去にものすごい嫌なクレーム客が来たのかなと思っていた。

ああだこうだ言われ続けて、結果、全方位型で対処していく今のホスピタリティ精神に繋がったのかなと。

しかし、これは内から来るものだとそのとき確信した。外的要因ではない。

その証拠に、この人からは嫌そうな雰囲気が終始感じられない。私がそれをしたいんだという、気持ちだけだ。

自分がしたいということをしている仕事をしているからずっと楽しそうだし、それがこちらにも伝播してきて、温かい気持ちになる。

天職にありつける良さは2つある。自分が楽しいのと、相手も楽しい気持ちにさせてしまうことだ。嫌そうに仕事をしている者にまた依頼しようと思う人はいない。自分発信であろうと、引き受けた仕事であろうと、楽しそうに仕事をしている者に人は集まってくる。

空き旅館が増え、錆びれていく厳しい田舎の観光地で、お世辞にも特徴的とは言えないこの宿にだけ人が集まってくるのは、そういう所以なんだなと思った。

帰る頃私は「くん」づけで呼ばれていた。

「実家に帰ってきたと思って、なんでも言ってね」

チェックインしたときそう言っていた。

そういえばこの人はあまり敬語を使わない。お客様に尽くすとか、お客様は神様です的思考とも違う。この人は、客を我が子にように扱えてしまうプロなのだ。

まだ見ぬ世界を切り開いていく冒険心と、馴染みという安心感。

美容室を選ぶとき。歯医者を選ぶとき。

それぞれどういう心理が働くか。

安く老神温泉に泊まってスキー場に行きたいとき、きっとまたこの宿を選ぶだろう。冒険心はスキー場で発揮する。休息場は馴染みでいい。

お客様面は苦手でも、身内面だったらできそうだ。最初は戸惑ったが、次からは親戚の叔父さんくらいに思って利用しよう。

そうして、この宿に人が集まり続けるんだろう。

8割の流儀・鷺谷政明

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