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小話エッセイ/兄の愛読書が「赤毛のアン」であると知ったとき②

①のあらすじ
兄の本棚で「赤毛のアン」を発見し、“キモっ”となった若きわたくし。
そんな冷ややかな妹の眼差しをよそに、兄は
「ちょっとカナダに行ってくるわ」。
浪人中にも関わらず、単身で小説の舞台・カナダのプリンスエドワード島へ行くと言い出したのです。


母「はあ? カナダ? お金どうすんの」
兄「家庭教師のバイト代が貯まってる」
母「だいじょうぶなん、言葉とか」
兄「まぁ問題ないやろ」

さすが京大いっぱつ合格。
経済面でも頭でも、そして行動力でも、まったく敵うものではありません。チキショーめ!

その後私も実家を出て、兄の「赤毛のアン聖地巡礼旅」がどんなであったかは聞けずじまい。
本も結局読まずじまい。
なにしろ兄が、三国志が占めていた本棚の特等席を譲り渡した本、ましてカナダにまで追っかけ(?)したほどの本ですから、
生半可に手は出せないという思いがあったのかもしれません。

はじめて読んだのは、それから10年以上経ってから。
書店のフェアで見かけて、ページを開いたと思ったら、そのままほとんど一気読みしてしまったのです。

泣いては笑い、笑っては泣きの、あれは本当に素晴らしい読書体験でありました。

何がそんなに響いたのか。
読んだ方はご存じと思いますが、「アン」は決して子どもだけに向けた本ではありません。

主人公アンの目線、友人たちの目線、大人たち(それぞれに問題を抱えた不完全な大人たち)の目線、すべてがググッと心に刺さる。
「こんな風でありたかった」と同時に、
「いや、これからそうなればいいんだ」と思わせてくれるちからがあります。

読み終えた本を胸にあて、そっと呟く。
「兄さん・・」

すみません、うそです。
そんなの思ったことありません。

ただですね。
あの頃ひねくれていた私に対して、これを読んだ兄はどんな眼差しを向ていただろうか。
殺伐とした家庭環境を、どう思っていただろうか。
そんな風に考えたのは、嘘ではありません。

決して円満ではなかった家庭環境を 共に乗り越えてきた彼を大切にしないで、一体誰を大切にするのか(互いに凶暴な時期があったにせよ)。
私のセンター試験の対策も一緒に練ってくれたしなぁ。
と、改めてそんな思いが湧いてきたのです。

「今さらだけど、赤毛のアンいいね」
読んだ後、兄にメールしました。
昔のことなんて簡単には言えないけれど、これだけで何かが伝わる気がしたのです。

兄の返事は
「ええやろ。プリンスエドワード島もええで」。
カナダにはまだ行けてませんが、今私の本棚の特等席には「赤毛のアン」シリーズが並んでいます。

兄は東大入学は叶いませんでしたが、別大学にて医学を修め、今では立派な外科医先生。

互いに誰に話すこともできない悩みや不安を打ち明けあう、無二の存在であり続けています。


(おわり)



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