マガジンのカバー画像

野口英世だけじゃない福島

18
自分の身近を知ることこそが社会科学のはじまり
運営しているクリエイター

#ベトナム

天領小名浜にとってのホイアン・Hội An

ベトナムに渡った福島県人「南洋学院」という外地校  戦時中の昭和17(1942)年から昭…

戦後なき”若松連隊”

若松連隊こと歩兵第29連隊ベトナム語のポスターを貼るのは日本兵  写真は,既に”戦後”と…

若松連隊 奉天からサイゴンまで

若松連隊こと歩兵第二十九連隊 遡ること80年前,昭和16(1941)年12月8日に英米対…

第二師団が最後を迎えたサイゴン

 上の写真は,仙台市の榴岡公園内に「仙台市歴史民俗資料館」として保存されている,旧陸軍第…

磐越の海道

 あの大震災から令和3年3月11日で10年になる。  ”原発事故”の陰に消されてしまったが,こ…

芥川賞作家とサイゴン裁判

「プレオー8の夜明け」その書き出し  作家の古山高麗雄氏が,サイゴン裁判のC級戦犯容疑者…

戦時下のサイゴンに日本が作った「南洋学院」の今

 戦時中の昭和17年(1942)から昭和20年にかけて,ベトナムのサイゴンにあった,陸海軍ではなく,文部省・外務省共管による「南洋学院」。  その第一期生で福島県出身の方の著書「南洋学院 戦時下ベトナムに作られた外地校」。  ''まえがき''に「戦時中の昭和17年から20年にかけて,当時のフランス領インドシナのサイゴンに南洋学院という学校があった。文部省・外務省共管,公費の旧高専校で,『東洋民族の共存・共栄,邦人発展のため,その第一線に立つ指導的な人材を養成すること』を目指