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地球が滅亡するの日に読む本

あなたは積読をするほうだろうか?

積読というのは、本を買ったのに読まず、部屋の片隅に置いておくことをさす。

私はこの積読をめちゃくちゃする方だ。しかもその中でも「絶対に読まない本」というものが存在する。それは「地球が滅亡するの日に読む本」である。

どこかの小説に書いてあった内容だ。

”どんな時も必ず好きな作家の本を持ち歩く男がいるのだが、それは男が好きな作家の本で、男がいつか死ぬときにその本を読むために持ち歩くというのである。”

私はその話を聞いて以来憧れており、地球が滅亡する日、すなわち人生最後の日まで読まない本が常に一冊はある状態だ。

私の場合は、恩田陸の本。

私は恩田陸の本が大好きである。好きで好きでしょうがない。心の中がひやっとするような、それでいて自分に鏡をつきつけるような、そんな本が大好きだ。人生最後の日には、その本の余韻に浸りながら死にたいものである。

ところが恩田陸はシリーズものをバンバン書くタイプ(書いてはいるが、中断したりすることが多い印象)でもなく、次はいつでるか正直分からない。だから、かならず家の中にはいまだ読んでいない彼女の本がある。

その本さえあれば、世界が終ろうと、部屋の外がゾンビだらけになろうと、きっと生きていくことができると思う。

私にとってまだ読んでいないその本は、未知でありながら既知の存在である。

きっとあの中には素晴らしいものがあると「知っている」が、それでもいつ読むことになるか分からない。さらに言えば、私がその本を読む時にはもしかしたら不幸な状態であるかもしれない。そういう「未知の恐れ」を含んでいる。

そんな未知と既知の存在が、私のあたまのすみっこで私を支えている。家のどこかにある一万円のへそくりみたいに、避難所で、それでいて楽しみにしていたとっておきのお菓子みたいに。

ああ、きっと素晴らしい本なんだろう。寝食を忘れ、スリリングで、主人公の心理描写に胸が苦しくなって、不気味で、不思議に囲まれて、そしてきっと最後にはちょっと前向きに終わる。あの幸福な余韻がわたしを待っている。

……あなたにはそんなものはあるだろうか?

好きだと知っているのに、なぜか知らないでいつづけるものだ。小説でも、漫画でも、映画でもなんでもいい。
それはきっとそれは、あなたの最後の日にぴったりなものだろう。

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