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元小学館の辻本吉昭さんにお会いしました

ご縁があり、かつて小学館の編集者をされていた辻本吉昭さんにお会いする機会がありました。辻本さんは氷室冴子が原作を手がけた藤田和子さんのマンガ『ライジング!』の企画を立ち上げた方で、藤田さんのデビュー当時の担当編集でもありました。

宝塚をモデルにした宮苑歌劇団を描くステージドラマ『ライジング!』は、『週刊少女コミック』1981年10号から3年半にわたり連載された、氷室の少女マンガ原作仕事の代表作です。拙著『氷室冴子とその時代』でも第3章で『ライジング!』を取り上げています。今回、辻本さんにお会いした折に、“少女マンガ編集者から見た氷室冴子”についてお話をうかがいました。

まずは、辻本吉昭さんのプロフィールを簡単にご紹介します。

辻本さんは1972年に小学館に入社、『少年サンデー』編集部で2年間過ごしたのち『週刊少女コミック』編集部に異動し、以後少女マンガ雑誌でご活躍されました。『少女コミック』『別冊少女コミック』『ちゃお』の編集長を歴任、『コロネット』でも中心的な役割を果たし、それぞれの雑誌をヒットに導きました。また、小学館を退職後にはイーブックスジャパンでコラムを連載し、編集者時代の回想を全50回にわたって綴られています。そこには1970年代から辻本さんが退職される2011年まで、小学館を中心とした少女マンガの動向と多様な作家・編集者のエピソードが登場します。なお、同連載は『私の少女漫画史 「少女コミック」元編集長が語るヒットのヒント‼』(電子書籍)として刊行されています。このコラムも、辻本さんから直接うかがったお話に加えて、同書の内容からも補足しつつ書いています。

辻本さんは1980年頃、担当していた藤田和子さんの紹介で氷室冴子と知り合いました。当時の氷室は『クララ白書』でコメディ路線を打ち出し、転機を迎えた駆け出しの作家でした。『クララ白書』のおもしろさにいち早く着目した辻本さんは雑誌『コロネット』でマンガ化を企画、新人の漫画家みさきのあさんがコミカライズを手がけました。

この『コロネット』は『週刊少女コミック』増刊として出発し、1980年夏号から雑誌として独立します。辻本さん自身にとっても思い入れの強い雑誌で、『私の少女漫画史』でも「コロネットという雑誌」というタイトルで4回にわたり取り上げられています。みさきのあ版『クララ白書』は1981年冬の号より連載がスタート、ストーリーの面白さとかわいい絵柄が人気を博し、雑誌の看板となるヒット作となりました。

大成功をおさめた『クララ白書』でしたが、実はマンガ化する過程で試行錯誤があったと辻本さんは振り返ります。『私の少女漫画史』によると、氷室冴子はこの時に作品を「どう変えてもいい」と語ったそうです。そのため、辻本さんはみさきさんとその担当編集者に「自由に面白くしてもらっていいよ」と伝えました。ところが、それを受けた漫画家・編集者ともにまだキャリアが浅かったこともあり、辻本さんの伝えた「自由に面白く」という点に苦戦したとのこと。結果、オリジナル色を出すのは諦めて原作に忠実なコミカライズという方針に切り替え、それが成功を収めました。私個人もこのお話をうかがいながら、『クララ白書』は原作の各エピソードが抜群に面白いので、オリジナル色を出すよりも忠実なコミカライズに方針転換したことは結果的によかったのではないかと感じました。同時にこのエピソードからは、メディアミックスにあたり内容の改変を厭わない氷室冴子の姿勢が、初期から一貫していることも垣間見えて興味深かったです。

『ライジング!』についても、気になっていたことをお聞きしました。それは、“原作つき少女マンガの難しさ”という点です。多くの少女マンガ雑誌を手がけた小長井信昌は著書『わたしの少女マンガ史 別マから花ゆめLaLaへ』(西田書店)のなかで、「少女マンガでも講談社系の雑誌は原作をつかったものはかなり多いと思うが、少女マンガの原作は実は非常に難しい」「私の経験では、少女マンガの表現は極めて微妙、繊細で、原作者とマンガ家の呼吸がピッタリ合うのはなかなか困難であった」と述懐します。原作のある少女マンガの難しさを、辻本さんは感じていなかったのでしょうか。感じていたとすれば、なぜこうした企画を立ち上げたのでしょうか。

この点について、辻本さんのお返事は明確でした。辻本さん曰く、「原作つきの少女マンガは難しい。それでも依頼したのは、氷室冴子さんだから」とのこと。「氷室冴子さんだから」というシンプルな言葉には、ストーリーテラーとしての氷室冴子への強い信頼感がうかがえます。

辻本さんと氷室冴子は少女マンガ編集者と少女小説家として出会い、以後その親交は長く続きました。氷室は自身の病気のことも辻本さんに打ち明け、また生前に手配した葬儀でも辻本さんに葬儀委員を依頼しました。辻本さんが氷室冴子という作家を信頼していたように、氷室もまた辻本さんに深い信頼を寄せていたことがわかります。

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ちなみにもう一点、辻本さんにおうかがいしていたトピックがありました。『氷室冴子とその時代』でも言及したように、『ライジング!』連載中の氷室は読者アンケートに悩まされたと振り返り、結果がふるわないと編集者から男の子を登場させたりキスシーンを入れたりするよう指示を受け、その指示に従うと悔しいことにアンケートの反応が良くなったと語っていました。この点について編集者側の見解をうかがいたいと思っていたのですが、辻本さんは『ライジング!』の企画を立ち上げたあと2、3回だけ担当し、その後は後輩編集者に引き継いだためアンケートのことはわからないとのことでした。またこの点については藤田和子さんからも、「アンケートに関しては、私は一切知らされていなかったのでどの担当とどんな話をしたのかわかりません」とのお返事をいただきました。アンケートについては、残念ながら現状では『氷室冴子とその時代』で取り上げた以上のことは判明していません。






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